寂しい世界の寂しい個人
一度読んだ時に悲しくて、かなり気分が沈む。
普通の家庭のお父さんが妻から離縁され、娘は離れていき、家も無くし、犬だけを連れて南へ向けてドライブする物語。
犬のハッピーが可愛くて、誠実で、だからこそ痛々しく泣けてくる。
うつ病で心が死んでいても、動物の愛情表現だけはなぜか胸を直接に震わせる。
改めて死にたいと思った。
普通の家庭のお父さんでさえ生きていくのが難しいこの世の中を、うつ病でまともに動けない自分がどうやって動けばいいのかわからなくなっている。
今の自分に何ができるのか。
答えはすぐに出る。
何もできない。
いずれ父が死に、母も続く。
そうしたら、自分は一人になる。
両親がいる分、まだ恵まれていると言う人だっているかもしれない。
でも、自分は本当に一人です。あるいは一人になります、いずれは。
生きた証として何か残したい。
大層なものじゃなくていい。
少しでも孤独を先延ばしさせてくれる何か。
何ができるか。
何が作れるか。
こんなにも寂しい大人になるなんて、小さな頃は考えられなかった。
一方で、子供の頃は賑やかだったかというとそうでもない。
やっぱり一人で、寂しくて、孤独で、それも自業自得で。
わがままな人間だったから。
不幸なことに、その性格に気付くのが鬱病発症後だったという、俗にいう「終わっている」状態。
詰んでいます。
ここで気付いてよかったのか。
それとも、気付かずに、悪いのは自分ではなく周囲だと考えつつ死んでいく方がよかったのか。
前者の方がまだ可能性を感じます。
後者は、生きているだけで周囲に迷惑を掛けそうですし。
じゃあ、どうすればいいのか。
わからない。本当にわからない。
思考停止しているせいもあるけれど、考えるのが怖いというのもあります。
つまるところ、やっぱり死ぬしかないんじゃないかと思うのです。