鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

統合失調質人格障害の部屋

恐らくこれを書かないと、自分が抱えている理不尽な空虚さを説明できないので、ここで取り上げます。

この今の鬱の病症と生活の虚しさに、分かちがたく絡み付いているのが、自分の人格、統合失調質人格障害と呼ばれるものです。

以前ちらっと書きましたが、シゾイドとはこれのことです。

統合失調質人格障害をシゾイド、あるいはスキゾイド(=Schizoid personality disorder)と言います。

 

どういった人格かというと、Wikipediaからの引用ですが以下の症状のうち四つ以上集まればそれに該当するとされています。

 

・家族を含めて、親密な関係をもちたいとは思わない。あるいはそれを楽しく感じない

・一貫して孤立した行動を好む

・他人と性体験をもつことに対する興味が、もしあったとしても少ししかない

・喜びを感じられるような活動が、もしあったとしても、少ししかない

・第一度親族以外には、親しい友人、信頼できる友人がいない

・賞賛にも批判に対しても無関心にみえる

・情緒的な冷たさ、超然とした態度あるいは平板な感情

 

自分の場合、どれが当てはまるか考えてみると、実にすべて当てはまります。

・家族と親密な関係を持ちたくない。異常な自分から見ても、さらに異常なのがうちの両親です。姉はまともですが、それは親を反面教師としたからでしょう。家族旅行に行った記憶がありますが、いつも早く帰りたいと思っていました。心を許せない人と旅に出てもつまらないだけです。

 

・一貫して孤立した行動をしてきました。十代、二十代の頃は孤立じゃない、孤高なのだと思いあがって来ましたが、今では違います。周囲から孤絶していただけです。

トイレ飯・便所飯、という言葉が孤立した学生が行う行動として一時流行りましたが、例にもれず自分もそれをしてきましたし。

 

・他人と性体験を持つことに興味がないとは言えません。町行く女性の胸には惹かれますし。

ふくらはぎ、太もも、エッチです。

一方で、ガツガツと貪りたいとは思えないのが実情です。

服を脱いだ女性より、綺麗な服を着た女性により惹かれる気もします。

肉体関係を結ぶよりは、むしろ精神的な結びつきや理解を望んでいる、と思います。

そして、その理解すら実は心から望んでいなかったりします。

 

・喜びを感じられる活動はなんだろう、あまりないので、これも当たっています。

多分他の人にとってささやかな喜びが、自分にとっての過剰な喜びとなっています。

今考えて、何が喜びだろうかと考えると、面白い本を読んだ時、それくらいしか思いつきません。

また、それで十分なのです。

 

・友人がいない、そして信頼できる人もいない。姉は良い人だと思います。時々うつ病に理解がない言葉を投げかけてきますが、それだけがつらいだけです。信頼しているかというと、もう数年まともに話していないのでわかりません。

人と会うことを徹底的に避けているのですから。

ちょっとしたことで動揺して、それがいつまでも治まらず、治まったとしても傷となってずっと残ってしまうのがうつ病になってからの生活です。これ以上病状を悪化させるわけにはいかないので、対人を避けざるを得ないというのが自分の信条です。

でも、きっとその考えは間違っている。わかっているのですが、それ以外の道を見出せずにいます。

 

・称賛には確かに無関心かもしれません。何を褒められても、それで自分の本質の価値が高まるわけではないと悟った構えを取ってしまっているから。昔は喜んでいました。褒められたら嬉しい、そんな振りをしてきました。そうではないという自覚すらなく。

他の人だったらこういう時に喜ぶのだろう、だから自分も喜ばなくては、そんな風に義務的に喜色を浮かべていたように思えます。

一方で批判には敏感だった気がします。

だから、これだけは外れているかもしれません。

いじめを受けてきたので、傷付けられることが常態でしたが慣れるものではありません。

いじめの中に存在や性格を批判されることなどしょっちゅうありました。

だから批判されるのは恐れています。

性格は批判されるものだと、今では省察しています。

ですが、やはり存在を非難するというのはあってはいけないことだと思います。

 

・情緒的な冷たさというのは絶対にあります。

心が無いな、と常々思っていますし。

文章を綴っていても、見返すと温かみが無いように思えます。

色々なブログや文章を書いてきましたが、これまではどうにかそこに優しさや温もりを盛り込もうとしてきました。

それでも書き上げた文章は偽善的で、一皮めくれば冷淡さが見えてしまうものです。

開き直らず、心が無い人間なりに、心が無い人間の心を書いていけたらというのが、このブログのテーマでもあります。というのは今思い付いたものですけれど、そうしてみます。