鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

末摘花の末裔:コンプレックス列記

コンプレックスの塊だった、そのようなことを前回書きました

「だった」ではなく、今ですらコンプレックスだらけです。

 

ただ、うつ病になって一つ一つのコンプレックスに向き合っている場合じゃなくなったのか、あるいはただ年を取ったためなのか、それらに対して神経をすり減らす機会は減ったように思えます。

うつ病スキゾイドの合わせ技だと、精神の掘削速度が倍加して、却ってコンプレックスで悩んでいたころよりも気持ちはきついのですが。

 

美女ばかりが出てくる『源氏物語』において、唯一と言ってもいい醜い女性、末摘花の描写はこのようなものでした。

「うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、鼻なりけり。ふと目ぞとまる。 普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり」

正確に訳すと大変なので取り上げませんが、とにかく鼻が長くて垂れていて先の方が赤い、といった風貌だというようなことが書かれています。

「ことのほかにうたてあり」とは、「特に甚だしい」といった意味です。ここでは「醜さ」を指します。

 

何故急に古典を取り上げたかというと、ここの訳を教わった時に忘れもしない出来事があったからです。

時は高校三年時、古文の授業においてです。

教師が末摘花の容貌を説明した時に、隣にいた同級生がこちらを振り向いたのです。

明らかに、「特に甚だしい」容貌の持ち主と自分とを重ね合わせている視線でした。

 

その頃の自分は今よりいっそうひどい顔をしていて、首から上はニキビだらけでした。

特に鼻は酷く、赤ニキビや白ニキビが二、三個左右非対称に常に点在している状態です。

生まれたてのものから、破裂した後のものまで取り揃えられており、触ると膿か血が指に付きます。

末摘花に匹敵するか、それ以上の醜さだったから、隣の同級生はこちらを見たのでしょう。

 

その人に大きな悪意はなかったと思います。

無かったと信じたい。

そうであって欲しいな……。

 

でも、そういった何気ない仕草でも人って傷付くものです。

だから、自分は自分を戒めないと、と思っています。

そう心がけていても、咄嗟にはもしかして人を傷付ける仕草をしてしまうかもしれない。

それがちょっと怖いです。