鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

粗大ごみの出し方

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四度にわたってコンプレックスを取り上げてきました

克服できたもの、未だ続いているもの双方在り、書いていると憂鬱になるものもまたあります。

それでも、まだまだコンプレックスはあります。

 

とはいえ、さすがに連続して生傷に針金を突っ込んでかき回したり、かさぶたを引き剥がしたり、手術痕を切り出し小刀で抉ったりするようにして種々のコンプレックスをいじくりまわすのは気分のいいものではありません。

 

ですから、今回は最近あったことを少しばかり。

 

統合失調質人格障害(スキゾイド)だと、自分の興味が極めて少なくなります。

あるいはなくなります。

自分もそう。

更にうつ病も併発しているとしたら、過去の色とりどりの思い出の品も現在の傷に繋がり、ただ痛みを増すものとしか見做せなくなる場合もあります。

だから、物をどんどん捨てられる。捨ててしまう。

 

数年前、うつ病になって働けなくなり、療養時に自分が出来たことは掃除です。

自分の部屋の趣味のものや娯楽の品を片っ端から捨てたりリサイクルに回したりしました。

重さに換算すれば優に200キロ以上の物を部屋から処分したと思います。

 

最底辺の場所にいる自分に、自己を楽しませるものを持っているのは罪悪に感じたのです。

だから捨てることに躊躇いはありません。

その捨て衝動は後に何度も襲ってきます。

一度社会復帰し、そこでうつ病を再発させてまた療養生活に入った時も前回の徹底した掃除から免れたものにも手を伸ばし、処分に回されました。

そこでも本や漫画など計50キロくらいのものを部屋から無くしたと思います。

 

そして今回。

ヤフープレミアムに無料で入れるキャンペーンに当たったので、そこでヤフオクに手を出してみたのです。

捨てるにはもったいないもの、まだまだ使えるけれど自分は使わないもの、どんどん売れます。

メルカリにも登録して、やはり捨てにくかったものを出品します。

捨て衝動が洗練された感じでしょうか。

 

あるいは少し社会に近付いたのかもしれない。

回復とはとても言えないけれど、幾分体調が良くなったためにそうできたのでしょうから。

 

というわけで、服や昔のiPodなどなど、計30キロくらいのものが部屋から消えました。

がしかし、売れないものももちろんあります。

例えば椅子。

 

合成皮革の表面がひび割れ、よく今まで使っていたなぁ、と思えるもの。

愛着のようなものもありますが、新しく椅子を買ったし、捨てざるを得ません。

ただ、ものが大きいだけに普段の燃えるゴミの日には出せません。

 

そこで粗大ごみに出すことになったのですが、出し方がよくわからない。

いや、流れとしては電話かインターネットで粗大ごみの回収を申し込んで、郵便局やコンビニで粗大ごみ回収シールを買い、回収日にものを道路に面した場所に置いておく、というのは分かります。

わからないのは、自分の椅子がただの椅子で良いのかどうか。

 

応接室に置いてあるような立派な椅子はちょっとお値段が上がります。

一方、オフィスや勉強部屋で使っているような椅子は200円とお手頃の回収価格。

自分の椅子はその中間にあたるくらいの大きさだったから、どちらで出すかが分からなかったのです。

 

そういった経緯があり、苦手な電話をかけてみました。市の粗大ごみセンターみたいなところに。

自分はただ椅子の分類を訊きたかっただけなのに、オペレーターが気持ちいいほどにやり手でした。

 

電話の受話器の音量が最大になっているのか、相手の声が割れてうまく聞こえなくて返事がハチャメチャになったにもかかわらず、電話の向こうのおばちゃんオペレーターは粘り強く対応してくれました。

「ソファじゃないんですね?」

「ええ、違います」

「じゃあ、椅子の料金で出してください」

「でも、普通の椅子より大きいので」

「でもソファじゃないんですよね?」

「はい。でも」

「椅子の料金で構いません」

こちらの疑問を迫力で封じます。

 

それから、

「○×△ですよね?」

途中質問の声が割れて意味が掴めません。

なんとか脚(きゃく)と言っているのだけは分かったので、推測して椅子の足が何製なのかを訊いているのかと思い、「プラスチック製だと思います」と答えました。

が、向こうからは、「一脚ですよね?」との冷静な声。

数を教えて欲しかっただけでした。

漫画で言うと、顔の周りを汗が飛んでいる状態。

恥ずかしさで焦りました。

「い、い、一脚です。一個……」と口が上滑りします。聞き取れるかどうかという早口で。

けれど、オペレーターはプロでした。

「では、200円のシールをお買い頂いて、それを貼ってご自宅の前に出して下さい。回収日は二月初めの○○日になりますが、このお電話で予約しますか?」

と、さらに話を進めます。

椅子の回収値段を知りたいだけで、本当に捨てるかどうかの覚悟をまだ決めていなかった自分は、「いえ、その、回収日ってどれくらいの間隔で……」と口にしました。

すると電話の相手は「次回の回収日にしましょう。その次になると随分先になってしまいますから。お名前とご住所、お教えいただけますか?」とてきぱきと質問を繰り出します。

問われるままに答え、電話を切ると椅子の処分日が決まっていました。

 

なんというか、こちらに考える暇を与えずに畳みかける勢いが凄いというか。

気持ちいいくらい話が早かった。

結果としては良かったんです、これで。

 

オペレーターとして、プロ中のプロのような気がします。

それだけ取り上げればいい思い出だったのですが、ある記憶と結びついて気持ちに影が差してしまいました。

車を売った時の買い取り業者のやり口とどこか似ている、そう思ってしまったのです。

 

これがうつ病の症状なのか。

いいことでも、過去のマイナス部分と結びついて、足を引っ張る。

だとしたら、回復など幻覚です。