軌跡~ある教員サークルの興亡~5
「国文だと、細かく分けると日本文学と日本語学の二つのコースがあるんだけど、どっちか決まってる?」
エクセルで作ったと思われる、中が空欄の時間割表と自分が手渡したシラバスとを並べ、そこに視線を落としながら桃野さんが尋ねて来ました。
入学前のパンフレットにコースのことは載っていたので、「文学の方に行こうかと」と答えました。
「そうか。国文の八割くらいは文学に行くんだよな」
話しながらも桃野さんは時間割表をどんどん埋めていきます。
「俺は語学の方だけど。やる人が少ない方が、それだけ未踏の部分が多いってことだろ?人と同じことやったってつまらないからな」
異形の顔をしてても、言うことは格好いいじゃないか。
そう思ったのを覚えています。
今ならば、「何気障ったらしいことを言っているんだ、この人は」と思うような気もします。
当時より、より腹黒くなっているためでしょう。
「教職も取るんだよね?」
それはまだ未定でしたが、教員サークルにまで来て「わかりません」と言うのも間の抜けた話かと思い、「そのつもりです」と返事をしました。
「そしたら、この科目とこの科目……、一年次は結構忙しくなるな」
時間割を八割がた埋めた桃野さんが顔を上げました。
「最低限これだけは取った方がいいっていうのを書き出しといた。あと、第一第二外国語がどの曜日に入って来るかで微調整する必要があるけど、基本はこれでいいはずだ」
差し出された時間割には、教職を取るだけあって、やたらと達筆な文字で履修科目が埋められています。
一時間目から四時間目まである日が三日、五時間目まである日が一日、土曜日も二時間目まで埋まっています。火曜日だけが午前だけという具合。
大学生は遊んでいるイメージがあったけれど、それが一気に覆されました。
時間割を見る限り自由になる時間は、下手すれば高校の時よりも少なく思えました。
そんな自分の様子を見てか、桃野さんは「それをベースにしてだな」と言い、シャープペンシルから赤ペンに持ち替えてこちらが持っていた時間割を引き取りました。
「これ、これ、これ、あとこれもだな。それと……、これくらいか。今赤丸で囲んだ授業だけは最低限一年の時に取っておいた方がいい。教授が変わりやすいし、変わったら単位が取りにくくなるかもしれないからな。今のままなら俺のノートがあるから、それでほとんどのテストに通用するはずだ」
顔の割には良い人のよう。
あるいはサークルの先輩が後輩にノートを貸すのは当然なのか、その時には分かりませんでした。
「それはそうと、他のサークルは回った?畑見ほのかも言っただろうけど、うちはまだ正式なサークルじゃないから部室が無いんだ。部屋があった方が例えば昼飯の時とかそこで飯食えるから何かと便利だぞ。だから、うちのサークルは出来るだけ他との掛け持ちを勧めてるんだ。まだ勧誘が盛んだから、今のうちにどこか見付けた方がいいぞ」
それは親切心からのアドバイスだとわかるので、自分は従うことにしました。
それに、今ここに桃野さんと二人で顔を突き合わせていることに息苦しさを感じ始めていたからです。
相手が桃野さんだからではなく、恐らく誰といてもそうだったのでしょう。
いや、畑見さんとだったら、と当時は不埒なことを考えましたが、今ならわかります。
それが異性でも、そしてどんな美しく優しい女性だったとしても一緒にいては息苦しく感じただろうと。
対人恐怖症、その頃には既に発症していたのです。