軌跡~ある教員サークルの興亡~15
不器用ながらも二ヶ月ほど経つと大学生活にも慣れた、というのは前回のお話。
慣れると人はそれまで留保していた考えを手元に引き寄せがちです。
自分もそうでした。
薄々感じていた、「自分は人間関係を築くのが下手なのでは?」との疑問がの発展的回答として、「下手なのではなく、出来ないのだ」となったのがこの頃です。
国文科は、というか、もっと大きなくくりとして、文学部は女子に人気の学部です。よって文学部国文学科の構成員の七割は女子でした。
だからパワーあふれる女子大生の傍らで、男子学生たちはてんぷらを揚げる時にできる天かすのように控え目にぼそぼそと集まって暮らしていました。
その中でもさらに陰気な自分は、はぐれ気味で一匹狼というか、牙もないので一匹混血犬として何か食べられるものはないかと、男子学生たちの周縁を物欲しげにうろつきまわっていました。
超然とした孤高の境地にも達せられず、誰からも隔絶された孤独は嫌かも、という二極の間の混血です。どちらにしても寂しい人というのは変わりないのですが。
時々、同級生のよしみで食事に誘われることもありましたが、テレビやらゲームやら芸能人やらの話題にはついていけず、同級生の女子の中で誰誰が可愛いという話にも興味を持てませんでした。
まだ十代、異性全般に興味が無いはずはありません。
雑誌のグラビアやテレビの番組、CM、街行く女性に自然と目が行っていることだって二度や三度ではない。数万回あります。
それなのに、特定の女子、それも身近な人となると興味の対象から外れてしまう。
予備校のチューターである白山さんに思いを募らせていたためもあるでしょう。
けれどそれ以上に、人との親密な交わりを拒絶するスキゾイド器質によると考えた方が正解に近いと思います。
後に述べますが、その白山さんとすら「本当に」仲良くなりたいとも考えていなかった節があります。
そのノリの悪さから、同級生で自分を誘う人は次第にいなくなっていきました。
それならば、サークルメンバーという目に見えない繋がりがあれば少なくとも孤立することはないのでは、といった甘い考えが頭をもたげてきます。
が、その楽観的思考も即座に粉砕されます。
十人ばかりの小さな団体ですら自分ははぐれたのですから。
「みんなとなかよくすること」
そんな言葉が幼稚園や保育園であった気がします。
「ものをこわさない」、「ありがとうといいましょう」、「わるいことをしたらあやまりましょう」といった何カ条かの教えの中に。
そういった、幼稚園生、保育園生ですらできることすら実行できないのが自分という人間でした。