鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

軌跡~ある教員サークルの興亡~19

 

梅雨真っ只中の六月中旬、ユニクロの紫の傘を差した自分が湯島天神の境内に立っていました。

学業の神様、菅原道真公を祀る神社です。

夏休み前にある試験に通るようお願いに来たとすれば、我ながら殊勝でいじらしいとは思います。

けれど腹黒い自分がそんなピュアな思いを抱いているはずもなく、胸の内は下心に満ちていました。

 

実はそれまでも、サークルの飲み会が終わった後、酔った勢いで予備校に行ってみたりしていました。

飲み会が終わるのが午後十時半くらい。予備校に着くのが十一時半。

もういい時間なので、当然校舎のドアは開いていません。

でも、チューターの白山さんの勤務先であり、自分が期限付きとはいえ満ち足りた時を過ごした予備校の建物を見るだけで、気持ちが和みました。

それほどに特別な場所だったのです。

 

何度かその残存記憶を撫でるために予備校へ通ううちに、それだけでは物足りなくなってきました。

和やかさの中には、薄い恋の記憶が潜んでいて、そこを突いていたようなものでしたから。

それで、どうしても白山さんに会いたくなり、その口実として、かつて自分が通った予備校の後輩が受験に通るよう学業成就のお守りを持っていく、との理由を思い付きました。

自分が湯島天神にいたのはそのためです。何も持たずにぶらっと予備校へ立ち寄る勇気はありませんでした。

 

社務所と言うのでしょうか、神社の売店のようなところでお守りを買うと、その足で予備校へ向かいました。

平日でしたが、大学の午後の講義が二つとも休講でタイミングが良かったという事情もあります。真面目人間でしたから、講義をサボってまでは行かなかったでしょう。

 

 

いざ校舎の前に到着してみると、鼓動が速くなるのを感じました。

そこへ入るのは、合格祝賀会以来です。

予備校には卒業式はありません。

大学に合格してしまえば用が無いところ、というのはいささかドライに過ぎるでしょうか。

でも、そう考える人が殆どだと思われます。

予備校はその名の通り、大学進学に予め備えるための学校です。

次の地点である大学へ行くための通過点と言うのが本来の役割ですから、とどまり続ける場所ではありません。

超難関校を目指す場合は、通過するのが難しく、意志に関わらずとどまらざるを得ないことだってあります。

それでもやはり一生を過ごす場所ではない。

通り過ぎる場所です。

ですが、さっぱりそう割り切って考える人ばかりではありません。自分のように。

予備校は我が人生におけるサンクチュアリ、つまり聖域です。

そこに属していた時のことを思い出せば、満ち足りた気分を感じられる。他のどこにいた時よりもおそらく幸せな瞬間の連続。

到達すべき目標があり、そのための手段が明示されており、そこへ向かおうとする多くの仲間がいる。

また、努力すれば必ず報いのある場所と時間です。

そんなところはそれ以前も、それ以後もありません。

大袈裟に言えば、手応えのある人生を歩めていた時代です。

たった一年ですが、多分白山さんのことを抜きにしても、自分にとって最重要の時だったと思います。