軌跡~ある教員サークルの興亡~34
心が欠如しているとはいえ、四年間抱いていた気持ちが蒸発してしまって、自分には本当に何もないんだと、体と頭の中に空虚さが広がるのは止められませんでした。
白山さんを好きでいることは、自分を自分として成り立たせる精神の支柱になっていたと考えていましたが、失っても平気で生きていられてしまう。
翌日になれば、何事もなく朝食をとり、持ち手を放しても鞄が床に落ちないほどの超満員電車に乗り、卒論の資料集めをし、昼にはトイレの個室でパンを食べ、キリのいいところで書店のバイトに向かい、最低時給で五時間働いて家に帰る。
そんな普通の生活に戻ってしまいます。呆気ないほどに、困難もなく。
今、予備校での祝賀会の写真を見たところで何も感じません。
心が無いと感じるのはこういう時です。
女子生徒に囲まれる白山さんは、確かに可愛い。
綺麗や美人ではなく、愛らしい女性です。
でも、感じるのはそれだけです。
彼女に会う理由を作るためだけに湯島天神にまで行ったのに、その情熱の残り火どころか、温もりも、燃えた後の灰すら見当たらない。
思春期にある、恋に恋する時期特有のものでもなかったと思います。
そもそも自分が白山さんに抱いていたのは恋心ではなかったのでは、との疑いが生じています。
では何か?
自分が白山さんに臨んでいたのは憧れでした。
それも純度100パーセントの。
手を伸ばしても決して届かない位置にありつつ、常に正しい場所を指し示してくれる。
そこを目指せば間違いのない道を歩いて行ける。
白山さんの予備校時代の存在は、人生における方位磁石そのものでした。そこが魅力だった。
そう、予備校時代の。
目指す場所、手段、自分の位置、当時の白山さんはそれらすべてを認知し、教えてくれました。
自分にしっかりとした生の手ごたえを与えてくれた。
そんな経験は初めてだったから高揚します。ましてや男子校出身の自分にとっては、肉親を除けば小学校以来初めてまともに話をした異性です。
ドラマや映画で恋愛のすばらしさは嫌というほど頭に叩き込まれていた時期、女性に対して免疫がなかったのですから、白山さんに恋らしき感情を持たない方が難しかったのです。