軌跡~ある教員サークルの興亡~35
憧れと恋愛感情とは親和性が高いものです。
だから、自分も勘違いしてしまったのだと思います。
自分は白山さんに恋をしているのだと。
スキゾイドの人間でもそう感じたのは、憧れだけならば心が無くとも持つことができるからではないでしょうか。
憧れは言い換えれば、目標であり、指針でもあります。
感情を用いなくても持つことができるもの。心は必要ありません。
カウンター越しならば、きっとそのまま憧れ続けることはできたと思います。
けれど、町で、あと数メートル近付けばプライベートの白山さんに相対できる時になって、やっと彼女が生身の人間だと気付いたのです。
万に一つ、と言えば思いあがっているので、京に一つの奇跡が起こって白山さんと自分とが付き合うことになっても、絶対にうまくいったはずがありません。
自分の性格が暗いから、悪いから、との理由ではなく、それ以前の問題です。
自分が白山さんに望んだのは、彼女がいつまでも手を伸ばしても届かない位置にいてくれることです。
ずっと高い位置から、ただ見守っていて欲しい。
通常の恋人としての距離では近すぎるのです。
近くに寄り添っていたい、触れ合っていたい、そういう、おそらくは普通の恋愛模様をまったく望んでいませんでした。
それは憧れの押し付けです。
してはいけないと、心ではなく頭で理解しています。
恋人になりました、でもずっと遠くにいてください。
あまりにあまりです。
さすがに自分でも、そんなバカげた真似は出来ません。
そういった現実の諸問題がどっと迫って来て、四月のあの日、あの町の中で、四年の間ずっと見ていた憧れを纏わせた幻が砕けたのです。
やっと正気に戻りました。
長い長い酩酊です。
恋をする資格のない人間がいるとしたら、それはまさしく自分です。
自分が人と繋がれるとすれば、それは恋愛や友情ではない、興味、ただそれだけです。
これこそがスキゾイドの人間の業とも言うべきものです。