鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

軌跡~ある教員サークルの興亡~36

 

孤立癖のある自分は団体行動、団体生活に向いていません。

故にサークル活動にも向いていなかった。これは確かです。

思い返せば、団体に溶け込もうとして間違った努力もしたものです。

だから、時によって友好的であったり、クールを気取ってつっけんどんであったり、同情を引こうと悲観的であったりと、性格が定まっていませんでした。

付き合いにくい性格です。

スキゾイドの人は孤立を好む、そう知るまでは本当に遠回りをして本来の自分からかけ離れた人間になろうと無駄な努力をしたものです。

 

だから、教員サークルでも浮いていました。

ただでさえ打ち解けていないのに、自ら孤立に追い打ちをかける行動をとったのだから目も当てられません。

あの日、模擬授業の担当は大和撫子の染谷さんでした。

一方の自分のその日の性格は批評家モード。

何についても一家言ありそうな人格をかぶっていました。

おそらくは、常に周りに対し刺々しく当たる久慈さんに影響されたのだと思います。

先輩に対しても、後輩に対しても、あるいは飲みに行った店の人に対しても、どこか上から目線な彼。

それでいて、一応筋は通っていて、善悪の区別はついているから、同性でも魅力に感じていた面はあります。

自己の性格を見付けようと模索していた時であるため、終始一貫した彼の態度は強い影響力がありました。自分もそうなりたいと思わせられる気持ちにさせられたのです。

 

 

だから、その日の模擬授業でも余計なことを棘のある言葉で言ってしまいました。

「染谷さんのやり方に幼稚な点があります」と。

サークルメンバー全員の動きが一瞬止まったのが見えました。

久慈さんの真似をしたのに、その久慈さんも驚いた表情を浮かべています。

すぐに理解しました。

棘が鋭すぎたと。

棘どころでなく、錐になってしまっていたのだと。

久慈さんの鋭さは、刺されたら痛そうだけれど、同時に軽い快感もある切れ味です。

けれど自分が形だけ真似て放った言葉は、相手を傷付けるだけでした。