スキゾイド症者との対話 1/4
スキゾイド症者と過去二回、話をしたことがあります。
私が通った大学にはカウンセラーが常駐していて、学校生活で悩んでいる学生が相談できる仕組みが備わっていました。
人とうまく付き合えず、夜も眠れず、家族の生活音が異様に気になり、顔は吹出物だらけで、髪もよく抜け、便秘持ちであり、将来何をしたいとの希望もなく、生きる意味を考えに考え、ひたすら苦しんでいた時期に一人ではどうにもならないと、藁にも縋る思いでその学生相談室に駆け込みました。
カウンセラーは五十過ぎくらいの女性で、見た目は乾パンのように固くて厳しそうでした。
けれど、話すと温和で親切で、さすがカウンセリングのプロだと思わせられました。
何に悩み、何を苦しみ、何が痛みとなっているのか。
それらを検討し、原因があるのであれば何がそうさせているのかを特定するのがはじめのテーマでした。
話し合いだけでなく、ロールシャッハ検査やいくつかの心理テスト、うつ病のチェックリストなどを使い、おそらくは神経症であろうとの見立てをもらいます。
この時にはうつ病とは診断されませんでしたし、自分も鬱ではないと感じていました。
そこで大学病院の心療内科を紹介されたのですが、一向に良くなりません。
睡眠薬もハルシオンを処方されていましたが、効き目を感じられませんでした。
もっと強い薬を、と希望したものの、担当医は「それ以上強いものは出せない」と言い、拒まれました。
今現在私が飲んで効果を感じているロプヒノールをあの時処方してくれていたら、と思い出されますが、医師側にも何か都合があったのでしょう。
この病院には二年ほど通いましたが、神経症は軽減されませんでした。
カウンセラーや医師の、「あなたは神経症だ」との診断が間違っていたのではないと思われます。
ただ、私がスキゾイドだというのを見落としていたのではないか。
あの時に、あなたが世間で上手く生きられないのは、統合失調質人格障害(=スキゾイド)だから、と言われていたら、色々なことに諦めがついたのに、と悔やまれます。
多分スキゾイドは治りません。
というか、治したくないというのが本音です。
他人と変わっている。
上等です。受け入れます。
普通になりたくて、苦しんで、傷付いて、絶望して、それでも普通にならなくてはとの強迫観念に追われた日々。
きついものがありました。
だから普通であるのを忌避するようになったのかもしれません。
何も私が特別だと思い上がっているわけではないです。
特殊ではあるのでしょう。
普通と特殊とを区別しているのです。
どちらが上、どちらが下といった区分は本来的にはないと考えています。
それでも強いて上下で分けるとしたら、スキゾイド症の「私」は普通人のずっと下なのではないか。
そう思います。
今の世の中、普通であることにも相当努力が必要だとは知っていますから。
敢えて「私」と強調したのは、それがスキゾイド症者全員に当てはまるのではないだろうからです。