鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

軌跡~ある教員サークルの興亡~138

 

「香奈が普通の女の子だったら、そんなにも深い絶望に落ち込むこともなかったかもしれん」

土屋君が言いますが、何を意図しているか掴めません。

「普通の女の子、じゃない?」

「違うんだ、香奈は……」

彼はグラスを持ち上げましたが、もう氷も水も残っていません。

指に付いた水滴を紙ナプキンで拭くと、うつむきがちに話し始めました。

 

多重人格障害っていうのか。『24人のビリー・ミリガン』っていう本あるだろ?まさに香奈があれと同じ症状なんだ」

その本は読んでいました。

一人の人間の中に、穏やかなものから非道なものまで何種類もの人格が存在し、脳の中にある舞台に立ったものがその時に外に表れる性格になるといった人物のノンフィクションです。

ちょっと思い出しただけでも、片瀬さんの性格が明らかに変わっているのを二度か三度、間近で見て来ました。

今振り返ってみても、彼女の症状は詐病ではなく、本当の人格障害であったと考えています。

演技にしては理由がないですし、人格が切り替わった際の容貌もその前後で変化が見えました。目の色が変わるというか、瞳が映す光の量が変化するというか。

経験すると、ゾクッとします。

 

 

「やたらと甘えてきたり、スパルタ教師みたいに厳しくなったり、ものすごく自虐的になったり、ただ泣いているだけっていう人格もあった。十個までは行かなくても、時間が経つにつれて増えてきたんだってさ。

一つの人格が表に出ている時、基本となる香奈の人格はそれを舞台の袖から見ている感じなんだと。本来のあいつが言わない言葉を口にした時、『ちがうちがう、そうじゃない』って思うらしい。でも、それを言葉として外に発せないんだ。想像できるか?……俺には無理だった」

感覚としてはそうなるのかな、と思えはします。

が、仮定の中で仮定を組み上げるようで、考えるほどに実感からは離れていきます。

「難しいよ。自分も無理だと思う」

そう言うと、土屋君は「そうか……」と安心したような、また残念なような表情を浮かべました。

「でもいいの?そんなプライベートで繊細なことを自分に言って。他人に知られるのを片瀬さんが嫌がるんじゃない?」

「他人じゃないだろ、俺たちは」

「いや、その、この二人は友達同士でも」

と、一人称も二人称もうまく言えない自分はまごつきます。

「片瀬さんは、友達の彼女だから、ちょっと遠いかなって」

「香奈はそう思ってないぞ。河合のことを友達だって認識してる。実は今日こうやって話すのも、あいつの了承を取ってある」

「片瀬さんの?も?え?」

嬉しくもあり、負担でもあり、不思議でもあり、そんな感情の渦に惑い、言葉が乱れます。