鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

軌跡~ある教員サークルの興亡~141

 

それにしても、と大学一年時代を振り返り見ます。

教員サークルとはいったい何だったのか。

真面目な皮を被っていますが、内実はいわゆるヤリサーだったのでは、と考えてしまいます。

異性交遊、特に不純異性交遊を志向したサークルです。

もちろん一時期世間を騒がせたスーパーフリーなどの組織化されたサークルに比べれば、規模も仕組みも豆粒みたいなものでしたが。

原動力は桃野さんを筆頭とした、本須賀さんや畑野さんの性欲だったのではないかと疑います。

そこに燃料として加わったのが、彼らの下級生たち、つまり我々です。

中でも米野さんは、まさに飛んで火にいる夏の虫、自ら燃えに行きました。

 

皆がそういったサークルの成り立ちに気付いたかと言えば、それはなかったと思います。

自分もこの仕組みに気付いたのは、大学を卒業してからです。

土屋君や片瀬さんは、在学中に真相を見極めていたかもしれませんが。

というのも、「教員サークル性欲原動力説」を教えてくれたのは土屋君でしたから。

 

 

いずれにしても、自分が一年の冬にはサークルはもう開店休業状態になっていました。

三年生が就活を始めたのもありますが、二年生に活動を引き継いでいこうとする人が皆無だったのが決定的であったと思います。

本条さんは掛け持ちの手話サークルに比重をずらし始め、友達がいないと言っていた築地さんは、そのくらいの時期から理数科でいつも一緒にいる仲間が出来たらしく、こちらの活動には来ずに彼らと過ごすようになっていました。

久慈さんだけは律義に集合場所へやって来ますが、参加人数が少ないと模擬授業は成り立たないと見切りをつけ、活動には出ずに帰ってしまいます。

二年生がそんな状態で、一年生にやる気が伝わって来るはずもなく、冬休み後には自分も集合場所に行くことすらなくなっていました。

このようにして、教員サークルは水が蒸発するように自然に消えて行ったのです。

 

といって、喧嘩別れしたのではないため、構内でメンバーに会えば会釈くらいはする関係へと落ち着きました。

その時も、「サークルはどうなった?」と訊かないのは暗黙の了解であったと思われます。

もしや相手にまだやる気が残っていて、再興することにでもなれば面倒だとの思いが各々にあったのです。

もっとも、土屋君に限っては事情が異なりました。

教員サークルの晩節を汚したのは、やはりトラブルメイカーの桃野さんです。

 

外人英語教授誘引未遂事件以来、土屋君と片瀬さんの仲が前ほどべったりにはならなくなってきました。

二人のうちどちらかが距離を置くようにしたのか、それとも二人でそう取り決めたのかは窺い知れません。

付かず離れずといった付き合いに変わった際に、その繊細な空気を読めず、あるいは読まず、今がチャンスとばかりに片瀬さんへアプローチを掛け始めたのが桃野さんでした。

そしてあろうことか、真夜中過ぎに桃野さんは片瀬さんのアパートに押し掛けたのです。

ひどく酔っていて、「何もしないから休ませてくれ。終電もないし」と言って来たそう。

片瀬さんは、桃野さんに住所を教えたことはなかったのにです。

ただ、当時は自分が英語の授業で作ったような、クラスやサークルでの名簿が多く作られ、そこに連絡先を書くのは普通のことでした。

今ほど個人情報がうるさく論じられていない、おおどかな時代です。

桃野さんも何らかの伝手を辿って、裏から片瀬さんの住所を入手したのでしょう。