あだ名はテロ
人のあだ名は苗字や名前に「ちゃん」を付けたり、一部を略したりといったオーソドックスなものや、元々の名前から派生した連想ゲームのようなもの、あるいはその人の言動によるものなどバラエティに富んでいます。
連想ゲームの種類として、例えば「佐藤」という名字が「砂糖」に変わり、次に英訳されて「シュガー」になるという風に。
言動の種類に基づくものとしては、例えばオヤジギャグばかり言うのでそのまま「オヤジ」になったり、「オッサン」と呼んだりするものがあります。
でも、中にはどうしてそうなった?といったあだ名もあります。
例えば「テロ」。
実際にそう呼ばれている同級生がいました。
現在では物騒だからと口にするのも憚れる気がしますが、私が子供の時はそこまで神経質になる言葉ではなかったと記憶しています。
幼いからそう考えたのではなく、大人も同じ感覚でした。
というのも、このあだ名を発見し、定着させたのは五十歳くらいのおばさん教諭だったのだから。
むしろ我々子どもの方が彼をそう呼ぶことに躊躇があったように思えます。
じきに慣れて、「テロ、テロ」と呼ぶようにはなったのですが。
事の発端は小学一年のテストの時間にありました。
多分算数だったと思います。
学生時代、テストの時は気が急いていて、名前を書くのももどかしく思うほど毎回毎回切羽詰まっていました。
今となってはほんの数秒急いだって仕方ないのに、と振り返るのですが。
その時後藤君も皆と同じく、いやそれ以上に慌てていました。
だから名前の「てつろう」を可及的速やかに書いた挙句、それが「て、ろ、」としか読めなくなっていて、採点した大松教諭が「何だこれ、あんたの名前は『てろ』か」と大々的に公表したことから皆の知るところとなりました。
そこまででも十分ひどい気がしますが、問題はその後です。
なぜ私が、というか、私たちがその答案の記述を詳しく知っているかと言うと、大松教諭がそれを生徒全員に回覧させたからです。
教室の一番左の一番前に座った生徒から後ろへ回され、最後尾まで行ったら右の列に座った生徒が自分の前の席の生徒へ答案を手渡す。
それが繰り返され、クラス全員が実物を見るところとなったのです。
後藤君はもちろん自分の席で回覧を止めようとしましたが、大松教諭に怒鳴られ、べそをかきながらも次の生徒に答案を回しました。
その後二十歳になった時の同窓会でも彼は「テロ」と呼ばれていました。
中学高校とクラスが離れ、彼との交流は途絶えていたので知らなかったのですが、その間もずっとあだ名がついて回ったそうです。
二十歳の時は笑えるようになっていましたが、小学一年生当時の大松教諭の所業は笑えません。
あれで後藤君が不登校になったり、「テロ」というあだ名がいじめのきっかけとなって自殺でもしたらどう責任を取るつもりだったのか。
有り得ないことではないと思います。
教師だからと言って立派な人間とは限らない証拠がここにあります。
度々書いてきましたが、教諭の中には明らかに教員どころか、社会人、いや人間失格の人が多くいた気がします。