鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

8センチのジェネレーションギャップ

 

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どういう意識機能の働きなのか、うつ病だと診断され、療養を始めた時に一番熱心に行ったことは持ち物を片付ける事でした。

整理整頓はもとより、不要に思えるものを徹底的に捨てたり売ったり手放したりしました。

本も、漫画を含めれば二千冊くらいは売ったし、見てくれがいいだけで実用性に乏しい置物などはリサイクルショップで引き取られるか小銭に変わりました。

身の回りのものが減れば減るほど頭もすっきりするかと、どこかで考えていたのかもしれません。

まさに取りつかれたかのように二ヶ月くらいはぶっ続けで片付けに没頭しました。

部屋の床にかかっていた負荷は、300キロくらい軽くなったのではないかと思うほど。

もっとかもしれません。

 

そしてCDも大半はパソコンに取り込み、本当に好きなアーティストのものだけを残してあとは売ることにしました。

その時、ささやかにショッキングな出来事があったのです。

これはもしかしたら昭和生まれの人にしかわからない衝撃かもしれません。

 

というのは、CDの買取を行っている店のカウンターで「8センチCDも扱っていますか?」と訊いた時のこと。

大学生のアルバイトと思われる女子店員が、「はっせん?CD?」と未知の言葉を聞いたような態度を取り、「少々お待ちください」と言ってから中年の店長を呼んだのです。

そう、彼女は8センチCDの存在を知らなかったのです。

やがてやって来た店長はもちろん知っており、「8センチCDは買取していないんです」と申し訳なさそうに言います。

 

私が十代の時、シングルと言えば8センチCDで、アルバムは12センチCDと相場が決まっていました。

今のシングルのように、数曲しか入っていないけれど12センチと同じ大きさのものは、「マキシシングル」と特別な名前で呼んでいたような気がします。

今では死語のようになっていますが。

 

その時まで、親や祖母、または教師、教授や上司にジェネレーションギャップを感じる事はありましたが、自分より下の世代との隔絶感は持ったことがありませんでした。

それが、その8センチCD事件で露わとなり、「年」を感じてしまったのです。

 

追い打ちのように私が店を出る時、その女子店員が店長に「はっせん?CDってなんですか?」と小声で訊いているのが耳に入って来ました。

これも地味にショックです。

前世紀の遺物を持って来た年寄りに思われたようで。

とはいえ、こうして世代交代が行われていくのだと実感したのもその時です。

 

そこで考えたのは、自身も何気なく年上の人からその世代の人には常識であるものを「知りません」と言ってきたのではないかということ。

そして、知らず知らずのうちに彼らを傷付けて来た可能性についてです。

本当に知らないから仕方ないとはいえ、人はただ生きているだけで思いもかけずに他者を落ち込ませたり、傷付けたりしている可能性があるのだと思い知りました。

 

もっとも普通の人はそんなのは当たり前で、気にする方がおかしいと考えているかもしれませんが。

それにしても、この記事を読まれる方の中で、どれだけ8センチCDを知っている方がいるかどうか不安です。

知らなければ、記事自体の意味が通らなくなってしまうので。