鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

小学生時代

追想だけが今の救い。

思い出だけで生きているような。

それも、大人になってからの記憶じゃない。

子供の時、主に小学生時代のこと。

 

いや、主にじゃない。

小学生時代のことだけを考えている。

 

その時が全部よかったわけじゃない。

失敗作の人間だから、子供の時からも後悔しないではいられないことは多い。

でも、思い出してもぎりぎり耐えられるくらいのことしかしていない。

 

いや、そうでもないか。

とても傷付けたこともあった、気がする。

 

人を思い出さなければ、割と楽なのかもしれない。

そう思い、この頃は校舎の隅々までを思い返している。

職員室、図書室、視聴覚室、書道室、理科室、音楽室、もちろん教室。

校舎のどこに何があったか。

思い出すだけでも、多少癒される。

 

なんで思い出はこんなにも優しいのだろう。

時の経過で丸くなったからだけではないように思える。

 

昔、優しさは今よりももっとあったのかもしれない。

それを感じる受容体もより多く。

 

なぜ、どこで失ってしまったのか。

 

それを考えるためにもまた、思い出の中に行く。

 

 

果てはまだ先なのか

健康ってなんだろう。

常に疲れているので、それが想像すらできなくなってきている。

 

2009年にうつ病発症。

以後、自宅療養。

体重が7キロ、8キロ減った。

食べる量は多分減っていないのに、肉がつかなくなった。

あたかも、体が生命維持を放棄したかのように。

 

療養を始めた時は、ひたすら部屋の片づけをしていた。

今考えれば、それがいけなかったのだと思う。

何かしなければいけない、そういう強迫観念から、自宅でできる最低限のこと=掃除にすがり付いた。

 

結果、休めずにいて、回復が遠のいた。

 

うつ病罹患者には徹底した休養が必要なのだと、ずっと後になってからわかった。

あの時うまく休めていれば、こんなにも長期間病んでいなかったと思う。

 

そして、もう回復する見込みすら見えない気がする。

11年間、何をして生きて来たか忘れてしまった。

 

あるのは、ただ空白。

何もない時間だけ。

 

そのことを悲しいとも、切ないとも思えないほどに、心が死んでいる自分がいる。