鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

歩くことはメーヴェで飛ぶこと

 

大体月に一度病院へ通っています。

症状は変わらず、悪い意味で停滞しています。

良くならず、かといって、悪くならないわけではない、という状況。

うつ病に罹った初期よりは、確実に悪くなっています。

 

初期はまだ動けた。歩けたはず。

むしろ、歩かなければという強迫観念に駆られて、無意味に遠出をして、薬の副作用の体の硬直が始まって動けなくなって涙が出そうになったこともあるほど。

 

それが今では、家の周りにある急な坂を上るのがやっとで、下手すれば家へ帰れなくなるのじゃないかというくらい疲れやすくて、歩けなくなってきています。

初期の頃はまだ普通の人と同じスピードで歩けていました。

けれど、今はもう絶対無理。

特に坂道は還暦を余裕で過ぎているだろうご老人に軽々と抜かれるほどになっています。

自分の方がよっこらしょ、という風に力を入れないと足が前へ出せないのです。

平地でも、普通の人波に巻き込まれると、歩くスピードの速さに驚きます。

なんでみんなこんなに速く歩けるんだろうと。

一応頑張って波に乗ろうとするのですが、途中で落ちこぼれます。

とてもついていけないと。

 

思えば、小学生や中学生の時はそんなことは全くありませんでした。

歩くのが好きで、暇があれば電車の二、三駅分は軽く歩いていました。

山手線も、五駅分くらい歩いて帰ったこともあります。

 

歩いている最中に考えるのは、自分はメーヴェなのだということ。

映画『風の谷のナウシカ』が乗っている白い翼の一人用飛行機です。

歩いているんじゃない、飛んでいるんだという風にイメージしていたのです。

そして、前に歩く人をどれだけ抜かせるかを楽しみとしていました。

メーヴェに乗っているように滑らかに、軽やかに歩いている、そんなつもりでいましたけれど、今思い返してみると、人混みを猛スピードで歩いて周りにぶつかりそうになりながら進む頭のおかしい子供でしかありません。

 

それでも、多くの人を抜かすことに固執していたように思えます。

今はそういった、これまでに抜かしていった人々から復讐されているのかと考えています。

無理に抜かすこともあったように思います。

特に喫煙者が前にいたら、絶対に死んでも抜かす気で歩幅を広げていました。

煙を吸いたくなかったのです。

それで、抜かした途端スピードを緩めてみたり、ちょっとした嫌がらせをしたりもしていた。

迷惑を掛けられたから、迷惑を掛け返す。

最低です。

こういうのが戦争の種になったりするのかもしれません。

 

今まで何人を抜かしてきたのか。

その分の復讐はいつ終わるのか。

あと何人に抜かされればこの呪いは解けるのか。

きつい日々ですが、借りがあるのですから、返していかなければなりません。