鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

別れ 後編

 

 

英語の授業で話したことをきっかけに、一緒に遊びに行ったり、飲みに行ったり、休日はバーベキューをしたり、なんてことはありません。

 

A君とはあくまで英語の授業のパートナーでした。

それでも、授業が始まる前の五分くらいや、終わった後に教室を移る際並んで歩く程度には仲良くなりました。

今考えれば奇跡です。自分が人と話せるなんて。

 

ともあれ、彼は奨学金だけで生活している逞しい人でした。

トイレもお風呂もないアパートに住み、昼休みは「本日のランチ」のサンプルとして一つ作られて食堂の出入り口に置かれているものから一つ二つおかずをかすめ取って腹を満たすという技を持っていました。

ティッシュ配りをしている人を見れば、足元に置かれている未配のティッシュが入った袋をまるまる一個取ったりもしていたという。

見たことはありませんが、やりそうな人です。

それに、嘘をつくような人でもありません。

大体、嘘にしては規模が小さすぎます。

 

その割に、休みになると日本中を旅していたようで、夏休みには伊豆諸島のどっかに行って熱帯魚を取ってきました。

自宅に帰って名前を付けて可愛がっていたけれど、その魚は死んでしまいます。

それで彼は、トイレに持って行って、「ごめんな、〇〇」と別れを告げてその魚を水に流したとのこと。

 

前回から別れについて書いていますが、それが別れの話か?!と思われると嫌なので否定しておきます。

違います。

あくまでも自分とA君との別れについてです。

 

他にも色々逸話はあるのですが、精神力の衰えから記憶力も失い、なかなか思い出せずにいます。

思い出したら追記していきましょう。

 

A君とは段々と仲良くなり、他の授業でも一緒に受けることが多くなりました。

米軍のお下がりのコートを買ったんだよ、と、ものすごく頑丈で重そうな生地のものをちょっと得意そうに話していたのが印象に残っています。

 

さて、そのA君とも別れの時がやってきます。

でも、心が無い自分は、別れをそれほど重要視していなかったんです。

大学を卒業したら、相当仲が良い友達じゃないと会うことはないでしょう。

就職したり、院へ進んだり、失踪したりしますから。

彼は製薬会社に就職したはずです。

一方の自分は何も決まっておらず。

こんな状態なのに、A君と離れてしまうことにさほど意味を見出せずにいたのです。

馬鹿だったな、と思います。

今も馬鹿ですが。

 

前回、自分には大学で仲良くなったA君とB君がいると書きました。

卒業式では、B君と並んで出席しました。

どちらかと言えばB君と過ごす方の時間が長かったからです。

A君が一人で出席しているのを、ホールの前の方に見ました。

リクルートスーツらしい服を来て、膝の上にはあの重そうなコートを置いて。

三月末でもまだ寒かった時だと記憶しています。

 

さすがに、心がない自分でも、一人で卒業式に出席というのは寂しいとは想像できました。

だから声を掛けたかったのですが、その機会がなかなか見付からず、結局式はそのまま終わってしまいました。

 

それから自分がした行為。

今でも「それはないんじゃ?」と悔やみます。

何をしたかというと、ただメールを送っただけです。

「A君、卒業おめでとう」と。

せめて、「どこかでお茶でも飲もうか」とか書けばよかったのに、それすらしなかったのが痛い。

胸が痛いし、頭も痛い。

想像力が欠如していたんです。

そんなメールを受け取ったら、「〇〇君も、卒業おめでとう」としか返って来ません。

実際そうでしたし。

そのやり取りを最後にA君とは没交渉になりました。

 

一年くらい経って、A君どうしてるかな?と思ったものの、ケータイも機種変し、電話番号もろくろく保存していなかったので、連絡が取れなくなってしまっていました。

FacebookTwittermixiで探してみても、A君はものすごいありふれた苗字と名前だったので、特定できませんでしたし、そもそもそういったSNSをやりそうな人でもありません。

 

本当に、大学四年間で唯二人の友人のうちの一人なのに、そんな別れになってしまったのがつらく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

でも、心が無いから、本当にはつらく思っていないのかもしれない。