鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

おばちゃん幻想

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対人恐怖症、これもまた自分のうつ病の症状にあります。

人と接するのが苦手で、つまり極度の人見知りが災いしてうつ病になったのか、うつ病というネガティブな思考回路から対人関係を築けなくなったのか。

鶏が先か卵が先かの議論になってしまうので追及はいずれ。

 

この対人恐怖症で困るのは、買い物ができないということ。

ネットでの買い物は出来るのですが、町にある店に入れません。

また、入れたとしても品物を店員の元へ持っていくことが難しい。

といって、そのまま店を出てしまってはただの万引きです。それはあり得ない。

 

人に対して敏感な時と、敏感ではあるけれどまだ穏やかな時の波があります。

その波が収まっている時にうまくタイミングが合えばなんかと店で買い物ができるのですが、簡単ではありません。

その店員が優しそうでないと無理なのです。

外見からどれだけ人の優しさを推し量れるかというと、多い割合ではないでしょう。

それでも、蜘蛛の糸を掴むような気持でそっと店員の様子を柱の陰から窺っています。

不審者です。

 

統計的に言えば、自分が買い物できるのは店員がおばちゃんである時。

統計を取って結果的にそうなったというより、意図的におばちゃんが店員の時を選んで買い物をしたからそうなったというのが正確です。

 

おばちゃん……、中年から高齢に差し掛かる女性の見かけの包容力はかなり高めです。

少なくとも自分にとっては。

思えば少年の頃からおばちゃんにはお世話になっていました。

 

思春期、第二次性徴が出始めた頃に狂おしく手に取りたくなるいかがわしい本。

それもおばちゃんが店員ならば、お兄さんやおじさんよりも買いやすかった気がします。

ネットがまだ未成熟だった時代には、そういったものを手に入れるために現実的に動く必要がありました。

そうした通過儀礼を通過したか否かで分かり合える部分がほんの少し変わる気もします。

……変わらない気もしますが。

 

現実にはおばちゃんだって全員が全員包容力満点ではないでしょう。

ですが、若い女性、若い男性、中年男性、高齢男性に比較すればやはりおばちゃんの包容力は高いのではないでしょうか。

統計的にではなく、自分の経験によりますが。

もしかしたら、ただの幻想にすぎないかもしれません。

そうだったら、切ない。