鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

軌跡~ある教員サークルの興亡~11

       

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予備校時代、自分は私立文系コースに所属していました。

学校はコースごとにいくつかのクラスがあり、授業を行う講師とは別に、連絡事項の伝達や進路相談を担当するチューターというスタッフが一人か二人、就いていました。

中学や高校でいう担任のような役目です。授業はしませんが、担当するクラスの生徒一人一人の成績や志望校、さらには名前や顔やついでに性格も把握し、親権者とのやり取りや大学の入試動向をチェックしたり、講師の手伝いや授業の準備、プリント製作など仕事は多岐に渡ります。

決して楽な仕事ではありません。

なにしろ私立文系コースは生徒が百人以上いるのですから。

そのチューターが、好きだった、とても。

 

そういえば、更に話が脱線しますが、初めて就職を考えた時、図書館とこの予備校のチューター職の面接をほぼ同時に受け、どちらからも内定をもらえそうになったことがあります。

双方ともに正規ではなく、臨時職員でしたが。

よく考えた結果、自分は図書館を選びました。

アルバイトで塾の講師をした時に、担当した生徒をどうしても志望校に入れたくて、給与が発生しない自習時間にも付きっ切りで面倒を見たのを思い出したからです。

一対一の個別指導塾でもそのくらい生徒にのめり込んでしまいます。

誤解される前に言いますが、生徒が男子女子関係なくです。

それが百人ともなれば、確実に働きすぎるのが目に見えていました。

だからチューター職は選べなかったのです。

過去の自分の選択は間違いばかりですが、この時ばかりは良い選択だったかと振り返り見ます。

過労の件も含め、自分が心身を壊すことで、せっかくお世話になったその予備校に迷惑を掛けるのを避けられたのだから。

 

 

自分がいた私立文系コースのチューターの名前は白山さんと、もう一人、誰か。片方は名前を忘れました。

その白山さんが、もう、心底好きだった、気がします。

まだ心があった時代。

心を失った今、その記憶はカンボジア世界遺産、アンコール遺跡のように風化が進み、思い出すのに苦労します。

余談ですが、アンコールはカンボジア公用語であるクメール語で「王都の」、「大きな」という意。

コンサートで演奏者に曲の再演を要望するアンコールとは違います。こちらはフランス語のencore

恐らくは五歳か六歳ほど年上の白山さんをどんなふうに好きになっていたのか、おぼろげにしか覚えていません。

ただ一緒に喫茶店やカフェに行ってみたい。その程度だったように思えます。

もっと上級の展望は思い描いていなかったはず。

小学生レベルの幼い恋です。

 

だから、国文科一年の染谷さんがどんなに魅力的でも気持ちがなびくことはなかったのです。