おにぎりの毎日(後編)
周囲の目もあり、一旦はおにぎり持参をやめた時期があった。
それが前回までの話です。
やめたのなら、それで卒業すればよかった。
ですが、運命の女神は元の道を戻るように、ある出会いを準備していたのです。
新年度になり配属が変わり、これまでの某部一課からニ課へ移りました。
一課が縁の下の力持ち的ポジションなら、二課は最前線部隊。直に利用者とやりとりをする部署でした。
自ずからそこは忙しく、時間に追われる仕事を担っていました。
昼休みもシフト制で、全員が同じ時間で取るのではありません。
休める人が休める時に休むという形です。
その前年度は非正規の職員がまとまった昼食を取るスペースが設けられていました。
けれど、新しく配属された課にそういった席はなく、小さいながらも正職員と同等の机と椅子が貰えることになったのです。
しかも、一人一人の休憩時間が異なる。
となると、人目を気にする必要も少なくなってきます。
とすれば、おにぎりタイム復活です。
いつの間にかおにぎり持参、水筒持参で職場に通っている自分がいました。
その方がしっくりきます。
実は食事にお金を使うことにかなり抵抗がありました。
おにぎりだって家でお米を買っているから、無料というわけではありません。
それでも、コンビニで100円、120円のおにぎりを買うより遥かに安く済みます。
それで、ぼそぼそを一人でおにぎりを食べていたのですが、やっぱり見る人は見るんです。
「いつもおにぎりですね」と言ってくる人もいました。
やっぱり、「いつもおにぎりで(変で)すね」という響きもあります。
ですが、そこに当時の自分には眩しいヒーローが現れたのです。
40歳くらいでしょうか、いつもはきはきして元気のいい職員が、「僕もずっとおにぎりだったなぁ。若いうちは贅沢なんてできなかったから、自分で作ってたよ」と自分にも、それから周りにも聞こえるように言ったのです。
そこに、おにぎり否定感はありません。
むしろ全肯定です。
自分を受け入れてくれる、理解してくれる人がいる。
そう思うと、嬉しかった。
やっぱり背徳感はありましたから。
隠れキリシタンの五憶分の一くらいでしょうけれど。
それに同調してくれる職員もいました。
「男の人が自分で自分の食事を用意しているのって素敵だと思います」という女性上司も現れましたし。
そこでいわばおにぎり持参のお墨付きをもらったことになり、むしろコンビニで買うのは自分の生き方を曲げるレベルにもなって来ました。
だから、その年度でそこから別の職場へ移っても、やはりおにぎりが自分の昼食となっていたのです。
変な目で見られてもいい、過去にわかってくれる人がいたから。
そういった思い出に縋りつきながら、自分の食事法を貫いていきます。
多分自分は恋人と別れたらずっと引きずるタイプです。
おにぎりくらいでここまで意固地になっていたのですから。
それから、また図書館、老人ホーム、さらにまた図書館、博物館、図書館と職を転々としました。
主に図書館です。
まさにうつりかわって来ました、図書館を。
それらのどこでも自分はおにぎりを食べ続けました。
老人ホームに勤めた時だけ、施設で出る食事を食べていましたが、それは仕事でした。
何か理由があって、職員も利用者と同じ食事を取らなければならなかったんです。
これも実はつらかった。
うつ病発症がこの老人ホームだったというのも、遠因はおにぎりを食べられなかったことにある気もします。
とはいえ、何とか一度うつ病を潜伏させることが出来、図書館での勤務を始めると、やはりおにぎりを持参しました。
とてもほっとした記憶があります。
けれど、気付けば年を取っていました。
三十を過ぎています。
若い、と留保なく言える年齢でもなくなってきました。
自分を認めてくれた人は、「若いうちは贅沢なんてできなかったから」おにぎりを作っていた、と言っていたのを思い出します。
既におにぎりの似合う年でもない気がしてきて、また精神バランスがおかしくなってきました。
そこで、図書館でも人間関係が上手くいかなくなったこともあり、今度は派手にうつ病を再発させてしまいます。
それが今も続いていて、とても働ける状態ではなくなっているのです。
一度うつ病になった人は、免疫の逆、耐性を失うのではないかと思います。
精神の壁に穴が開くというか。
ストレスが入ってきやすくなる感じです。
自分だけかもしれませんが、常人離れしたストレス耐性の無さです。
もしこれからどこかで働くことになっても、おにぎりは似合いません。
六十過ぎくらいになると、今度はまたおにぎりが相応しくなるイメージもありますが、遠いですし、そこまで生きているかどうか。
こうなったら、おにぎりは格好いいというイメージが社会に蔓延してくれることを祈るばかりです。
おにぎらず、というのもありますが、あれって要は普通のお弁当ですよね。
そうじゃないんです。
海苔の、三角の、あれ。
あれをずっと食べ続けていたいのです。