鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

涙の理由を知りたい2

その意地悪な人は本当に意地悪で面喰いました。

今までの人生で出会ったことがない人種でしたから。

でも、それは自分の運が良かったからなのだと後で知ります。

世の中、それくらい性格悪い人が満ち満ちていましたから。

それを感じ取れる自分の性格だって褒められたものではありませんし。

 

うつ病の館長は実にミスばかりしていました。

傍から見れば「使えない」と判断せざるを得ないくらい。

後に自分がそうなるとは知らず、うつ病ってこうなるんだ、と怖く思ったのを覚えています。

 

前回書いた通り、館長の仕事をなるべくフォロー、フォローと走り回っていました。

同期で入った男性職員も優しい気質で、館長の仕事を肩代わりして、なるべく休ませるように気配りしていたのですが。

そういった我々の心遣いを無にするのが、その意地悪な女性職員。

 

館長が仕事をしている時に、過去の仕事の不備を指摘し、現在の仕事の手を止めさせます。

そして、彼が過去分の仕事を修正したところで、現在しなければいけない仕事について「まだ出来ていないんですか?」と言ったりするのです。

その過去の仕事は、特に急いでする必要がなかったにも関わらず。

 

また、少し高価な本、稀覯本ともいえるようなものが図書館に入って来た時のこと。

本来それは書庫に入れ、厳重に管理しなければいけないものでした。

ですが、館長はそれをつい忘れ、自分の机の上に置いたまま帰ってしまったのです。

その時、意地悪な人はわざわざバス停まで彼を追ってそれを指摘しに行ったという。

 

自分で書庫に入れればいいじゃん、そう思ったのを覚えています。

もし疑われるのが嫌なら、他の職員に手伝ってもらって、「私たちで書庫に入れましょう」と言って証人を作って処理すればよかったのですし。

仕事が終わって、やっと帰れる、ほっとした館長を図書館へ引きずり戻す姿を見て、ほんとに関わりたくないと思いました。

 

意地悪を受ける当事者でない自分でもそう思うくらいです。

いや、多少は意地悪をされましたが、いや、多少じゃないな……。

まあ、館長はもっともっと思いストレスを受けていたでしょう。

ましてやうつ病罹患者です。

絶対に傷付けてはいけない相手を平然と踏みにじっている姿は、思いっきり引いていました。

 

とある日、間違いを指摘され、館長はついに泣いてしまいました。意地悪な人の前で。

「私だって一生懸命やってるんだ!そうポンポン色んなことを言わないでください!」

嗚咽です。大人の男性がこれだけ激しく泣くのを初めて生で見ました。

映画やドラマではたまにありますが、現実の涙って迫力が違います。

と、そんな冷静に分析できるのは思い出の中の出来事だからなのですが。

 

当時はただただ戸惑っただけです。

仲介に入るにも、事情がよく分からなかったし、火に油を注ぐ結果になりかねないのも避けたかったので、オロオロするだけでした。

 

それなのに、意地悪な女性職員は涙なぞ意に介せず、「やることはやってください」となお断罪を繰り返します。

やがては彼女も自分の席へ戻りましたが、それは館長に同情したり許しを与えたからではありません。

二人を見ている我々の視線にいたたまれないものを感じたからに他なりません。

他者を思いやる、そのような思考は彼女に備わっていないようでした。

 

にもかかわらずです。

自分は館長が泣く理由が分からなかった。

傷付けられ、痛めつけられ、哀しくて、だから泣いた、のでしょう。

 

それが分からない。

それが、自分が心のない証左です。

けれど、人の悪意を感じ取ることはできる。出来てしまう。

さらに、一人前に傷つくという訳の分からなさ。

 

恐らく人を傷付けることもしてきました。

恣意的に、故意にはすることは(滅多に)ありません。

けれど、振り返って見れば、同じことをされたら傷つくなぁ、と思うことをしてきてしまった。

何なんだろう、この訳の分からない心は。

 

人に同情しても、それは自分が読んだ本や見た映画から学んだ心の動きをなぞっているだけに思えます。

本当の心からの動きではなく。

 

涙の理由を知りたい、知ってみたい。

ただ、今のボロボロの精神で過去、傷ついた人に思いを馳せ、同情し得るかと言うと疑問です。

そこまでの余裕や強さがあるのかどうか。

多分、ないです。

 

涙の理由を知る時、それはうつ病が回復し、さらにはシゾイドが和らいだ時かと思われます。

その時が来るのを望んでいるのかと問われると、答えに詰まります。

ゾイドが自分を守っていてくれる部分もありますから。