鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

別れの記念品の価値

誰にでも積極的に声を掛け、誰とでも仲良くできる人がこの世にはいます。

神に愛されたそういう人種が。

前回登場したTさんもその一人でした。

 

もっとも、そういった人にだって欠落した部分はあります。

時々何の欠点もない完璧超人がいて唖然とすることもありますが。

でも、完璧すぎるからこそ苦手に思われる、そういうことだってある気がします。少なくとも自分はそう思う方の人間です。

 

話は戻って、Tさんのこと。

彼に欠落している部分。

というか、自分がそう思う部分があります。他の方はどう思うかは分かりませんが。

 

それは、デリカシーの在りかが違うこと。

 

同じ本屋で働いていたYさんという先輩がいました。

彼は大学四年生、こちらは三年生で年齢的にも仕事においても先輩でした。

それに頭がよかった。

 

ある日彼が「成績が心配で」と弱音を漏らします。

当然普通人の自分は、単位を落とす、落とさないといったレベルの話だろうと考えました。

でも、違った。

 

彼曰く、「今年首席になれるかどうか微妙なんだ」とのこと。

レベルが違っていました。

なんでも入学してからずっと学年での成績がトップだという首席をキープしていたそうな。

 

首席なんて、自分には全く縁がなく、話を聞いた時「しゅせき」ってなんだ?と思ったほどです。

漢字が頭にパッと思い浮かばなかった。主席、酒席、シュセキ……。

少し時間をかけて「首席」だとわかり、そういえばうちの学校でも首席の人は学費がいくらか安くなるか、褒賞金のようなものが出る、という噂を聴いたな、程度のことは思い出しました。

 

その彼は人格者でもあり、でもあまり人と親しく接しない一面もあり、そこがまた同性ながら魅力でした。

仕事第一で、さすがのTさんの誘いも二回に一回は断るほど。

バイトはバイト、プライベートはプライベートと割り切っている感じでした。

 

その彼が卒業を機にバイトを辞める日、思いがけず彼からバイトの同僚にチョコエッグが配られました。

価格は一つ200円くらい。ガチャガチャの中身に入っているものです。

わざわざデパ地下に行って、過剰包装された高級クッキーを配るような常識的なことをしないのもさすがYさん、と思いました。

 

チョコエッグ、その名の通り、チョコで出来た卵です。

いわゆる食玩で、中に小さな模型が入っています。

自分が貰ったものの中味はウサギの模型。

 

可愛いし、精巧だし、気に入りました。

今でも棚に飾っていて、時々手にとってはYさんとのバイト時代を思い出したりもしています。

 

さて、その後、大学院に進む自分とは違い、卒業の道を選ぶTさんもバイトを辞めることになりました。

彼から何か貰った記憶はないのですが、それはまあいいです。

バイトを辞めるのに、わざわざ贈り物をする方が稀でしょうから。

 

問題はその逆。

自分が記念として彼にチョコエッグを渡したのです。

Tさんも受け取る時は喜んでいました。

 

けれど、けれど、です。

Tさんはチョコだけ食べて、中身の模型を本屋の職員控室のテーブルの上に置き去りにして行ったのです。

自分がYさんからもらったウサギを後生大事にしているのとは大違い。

 

持って帰りもしないというのは一体どういうことかと。

そこにデリカシーのなさを感じ取ってしまいました。

だから、実はあまり手放しにTさんを褒められずにいます。

 

小さい人間だというのは承知です。

ただ、そんな小さなことでも気に掛ける人がいてしまうんです。

自分のように。

 

考えてみたら、自分だってきっとデリカシーのないことをしてきています。

だから嫌われたことだってあるはず。

一応気を遣って生きるようにはしていますが、価値観の相違からその心持ちに気付いてもらえなかったことも多々あったかと。

 

 

 

もしかしたら、Tさんが模型を持って帰らなかったのは、それが一見Gに見える昆虫だったからかもしれませんが……。