鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

閉ざされた世界の大きな罪(前編)

 

今の自分から思えば、子供の頃のことなんてすべて幻想です。

本当にあったこととは思えません。

だから、多少は綺麗に思えるのかも。

 

うちの小学校は厳しくて、学校帰りの買い食いは禁止されていました。

それに所持金の制限も、確か500円くらいだったと思います。

ワンコインランチ(税込み)なら買えるけど、ワンコインランチ(税抜き)は買えない。

今では一食にすらならないお金を大金だと思っていました。

何もできない現在の自分にとっては、実は500円って大金ですが。

 

ともあれ、その規律を自分たちは忠実に守っていたと思います。

その一方、禁止されれば破りたくなる人もいるのがこの世界の成り立ちでしょう。

いました、そういう生徒も。

 

先頭に立って買い食いをする生徒、それはクラスでトップクラスの成績を取っている子でした。

自分が通った学校は小中高とエスカレーター式なので、正式な受験はないのですが、確か入試試験で良い点数を取れば何かしらのメリットがあった気がします。

なんだったかな、思い出せません。

 

その子は塾にも通っていて、かなり熱心に、ストレスを受けながらも勉強をしていたようです。

それこそ円形脱毛症になるほど。

そう、そこまで突き詰めて勉強をしていたようなのです。

 

円形脱毛症、実は自分もなったことがあります。

高校の時にいじめを受けていた時に。

あれは思い出したくないほどきついことでした。

具体的に言うと、と考えた時、もう思い出せなくなっています。

時間が経ったせいなのか、脳が記憶の採掘を危険だと見做してストップさせているのか。

 

その子の話に戻ります。

それだけ勉強しているし、学校側からももっともまじめな生徒と考えられて、学級委員もしていたはずです。

それもストレスの原因になったのかもしれません。

黒板の粉受けと呼ばれる、チョークの粉が床に落ちるのを防ぐレールのような部分でビー玉を転がして遊んでいた自分とは格が違います。

強力な回転をかけて、粉受け中心部にある穴をうまく避けて端から端まで球を転がすのは得意だったんですが、今回どうでもいい話です。

 

その子と取り巻きの三人くらいが、スクールバスが停まると駅へ向けてダッシュしていくのを何回か見ました。

スクールバスの止まる場所から駅までは二百メートルくらいあります。

ダッシュして先へ行けば、普通に下りて歩いて駅へ向かう生徒たちからは何をしに行ったのかはわかりません。

でも、さすがに何度も見ているうちに自分も好奇心が湧いてきます。

 

きっとよからぬことをしているんだろうという予感はありました。

純粋な心を持っていると、悪事をする時にどうしても気配が立ってしまいます。

犬でも同じです。

自分のおもちゃではない何かを自分の小屋に運んでいこうとする時、少し腰が落ちて、後ろから見ると「何か普段と違うな」と勘付くときのあれです。

よく見てみると、誰かの靴下とかスリッパとかを私物化しようとしている犯行現場(と言うと大げさですが)だったりします。