鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

おにくと呼ばれる犬の思い出

「おにく」。

そう呼ばれる犬がいました。

 

小学四年生の時、スクールバスがいつも信号で停まる場所がありました。

その道に面した白い家の外階段の一番下で、真っ白な毛並みの犬が寝ていたり、辺りを見回したり、一点を見つめていたりしていました。

 

それを見ると、学級委員長と、彼の取り巻きが「おにく!おにく!」と声を出して呼ぶのです。

始めの頃は彼らが何をはしゃいでいるのか不思議に思っていました。

 

訊けば教えてくれたのでしょうが、自分は一応そのグループに入っていたと思っていたのに、いつの間にか生じた「おにく」現象を知らされておらず、拗ねて敢えて訊かないことにしたのです。

変なところで意地っ張りでした。

 

ですが、登校時、下校時に、委員長の周りの五、六人だけが「おにく!」と盛り上がっているのを見ると寂しくなってきます。

小学校の時のグループは幼いながらカースト制になっていて、委員長の団体はその頂点に位置していました。だから、他のグループに移っても、どうしたって頂点の人々の動向に意識が向いてしまいます。そういった影響力を有しているのもまたトップの理由なのですから。

 

だから、折れるならばこちらからになります。

リーダー格の生徒が、きちんとした自分のグループの構成員でもない下っ端のやっかみなど気にするわけがありません。

 

それでも変なプライドが邪魔をして素直に教えを乞うことが出来ず。

なのにトップ集団の中に入りたい自分は、ある日、バスがその白い家の前に停まった時、率先して「あ!おにくいるじゃん!」と言ってみました。

 

平静を装いましたが、心臓はバクバクです。

「はあ?お前、おにくってなんのことか知ってんのか?」と訊かれたら答えようがありません。

 

ですが、そうはならず、トップ集団の一人が耳ざとく自分の言葉を拾い、「おにく!おにく!」と呼びかけ始めました。

自分もそれを真似して白い犬に「おにく」と声を掛けます。

やがてリーダーの委員長も「おー、おにく今日もいるな!おにく!」と唱和したのです。

自分が白い犬をなぜ「おにく」と呼んでいるのか気にしない様子で。

 

ほっとすると同時に後ろめたい気持ちでいっぱいです。

自分も周りも欺いているのですから。

 

その後もスクールバスの発着場所が変わる次の年度まで、おにく現象は続きました。

ずっと自分はおにくの由来が分からないまま。

 

とある日、自分の初恋の人が「ねえ、どうしてあの犬をおにくって呼ぶの?」と訊いて来ました。

「知らないんだ」とは言えません。知らないままに「おにく」と連呼しているなんて、格好悪いにもほどがあります。

だから自分はただただ口を濁しただけです。

「んー、なんていうかな。簡単に説明できないんだ」等々。

 

小学四年生くらいの時ですから、首を傾げられるだけで、きつい追及はありません。

それで助かりました。

ただ、もし知っていれば、その子ともおにくの話題で盛り上がり、仲良くなれていたかもしれません。

そう思うと、悔しい気もします。

 

結局自分は最後まで「おにく」と呼ばれる犬の秘密を知らないまま小学校を卒業しました。

中学生になり、自転車通学を始めた自分はある日ふと思い立ってその白い家に向かったことがあります。

白い家はそのままに、けれど犬はいませんでした。

 

その時たまたまいなかったのか、別のところに移ったのか、そこまでは分かりません。

本当にただの白い犬だったはずなのですが。

おにく、なぜそう呼ばれていたのか。

ぽっかりと空いた時間に思い出し、理由を知りたくなることがままあります。

どうしても、ということはありませんが、小学生の時の摩訶不思議なネーミングセンスを解きほぐしたい、と。

好奇心のようなものです。