閉ざされた世界の大きな罪(後編)
それは小学五年の時だったと思います。
もしかしたら、「いけないこと」を意識的に行ったのはこの時が初めてだったかもしれません。
買い食い。
文字にすると、下卑た、裏社会的な風に表される気がします。
が、おなかが空いた時、ものを買わずに食べる方法はありません。(デパ地下の試食コーナーを除く)。
購入し、食す。実は当たり前のことです、買い食いって。
でも、小学校のその時は罪の意識の裏に社会=学校への反抗といった、一線を越える甘美な気持ちがありました。
バスを降りた学級委員長の優等生がダッシュで向かった先、ずっと謎でしたが、ある日自分も走ってついていってみました。
委員長はちょっと迷惑そうな顔をしましたが、こちらが親や学校に悪事を密告するような人ではないと知っていたのでしょう、「他の人には内緒だよ」と言って他の取り巻き連中三人くらいの中に入れてくれました。
辿り着いたのは駅前にあるコンビニエンスストア。
ごく当たり前の店です。
ですが、下校時は家に着くまで商店に立ち寄ってはいけないという決まりがあったため、今の自分からは想像できないくらいドキドキしました。
それは委員長や他の生徒も同じで、皆ただ走ったからという以上に息を切らせています。
気持ちを落ち着かせて、なんでもないよ、いつもしていることだよ、と装いつつ我々は店内に入りました。
今から考えれば本当になんでもないことなんですよね。
さて、そこで何を買うかです。
お酒とかタバコを買ったら立派な不良です。
でも、自分たちが選んだのはただのサイダーやおにぎり、チョココロネとかごくごく平和な品です。
とと、ここでチョココロネについて知りたいことがあったので調べてみました。
チョコは分かります
わからないのは、コロネ。
普段使いしない言葉です。
日常会話で出てくるときはまず「チョコ」とセットで出てくる言葉ではないでしょうか?
ラテン語でCornuは動物の角を意味し、その形をまねて作った楽器付いた名前がコルネットになったそう。
そのコルネットに似た形のパンだから、コロネと呼ぶようになったそうです。
これ、前々回くらいに感想を書いた『星守る犬』の登場人物が疑問に思っていたことです。
自分は舞い上がっていたのか、恐らく他の生徒とは異色のものをチョイスしました。
それは、赤飯おにぎり。
小学生がわざわざ選んで買うラインナップにはないのではないでしょうか。
ちょっとおかしい小学生だったんですね。
それをどこで食べるかというのが問題になってきます。
店の前で食べたのでは後からバスを降りて歩いてくる生徒に見られて先生に告げ口されてしまう。
といって、家まで持ち帰っては、親に見つかる可能性がある。
そうなると、選べる場所が限定されてきます。
駅から家に着くまでに歩きながら食べてもいいのですが、それは却下です。
一緒に罪を犯したみんなと一緒に食べたい。
仲間意識です。
だから、委員長が選んだのは駅のホームの一番端っこでした。
そこで、五人くらいがコンビニエンスストアのビニール袋からごそごそと各自の獲物を取り出し、モソモソと口に運びました。
駅を通過する急行が来ると、必要もないのにそちらに背を向けたりして、怪しいことこの上なかったのですが。
そんな風にして食べた赤飯おにぎりが美味しかったかというと、そう、この上なく美味しかった。
背後にある罪悪感が一種のスパイスになって、味にパンチを入れていたのか、鮮烈な味でした。
閉ざされた世界での罪。
今、開かれた世界にいる自分からは、どこが罪なんだと思います。
けれど、限定された環境だからこそ、甘く切ない思い出というのはあるのでしょう。
今は遠く、手を伸ばしても、触ることのできない、だからこそ大切な記憶の一コマです。