ラーメンの味は好き
好きなのに、体が拒絶する。
そういうことって、あります。
例えば猫好きの猫アレルギー持ち、寒さ好きの寒がり、などなど。
自分の場合、アレルギーはないのですが、ラーメンがそれに相当するかと。
味は好きです。表題の通り。
ですが、麺という形状が苦手です。
何故かと言うと、啜ることができないから。
いや、出来るのですが、出来ない。
……なんというか、やろうと思えばできるのだけれど、したくない、これが言いたいことです。
ズルズルズルという音が自身の価値観、あるいは美学(というと言いすぎですが)に合わないからです。
こんなおかしな価値観をどこで手に入れたのか、過去を覗いてみても見当たりません。
家庭環境課と思いきや、両親共々麺類は啜ります。
さすがにパスタ類はズルズルしませんが。
そういえば、このパスタ、ある時期から突然そう呼ぶようになりましたけれど、その前はスパゲッティと呼んでいたはず。
それなのに、今は「スパゲッティ」と言うと時代遅れ感が満ち満ちて来ます。
誰が仕掛けたんでしょう?
メディアによる刷り込みなのか、知人友人家族による洗脳なのか。
ともあれ、家族のうちでもラーメンをすすれないのは自分だけです。
もしズルズルすることが出来たとしても、自分の苦手とする第二の問題が立ち現れます。
それは、跳ね。
ラーメンだと汁気が多いので、啜る間に麺が中空でビヨビヨと左右に揺れて、その間にスープを器の四方八方にまき散らすのがダメなんです。
その点パスタだと汁気がないので、そうそう留意しなくとも食卓が汚れるということはあまりありません。
いつだったか、自分はラーメンが苦手だと気付いた後で、新聞紙を広げてラーメンを食べてみたことがあります。
その実験の結果、思っている以上にスープの跳ねの範囲は広く、新聞紙は機銃掃射された後のような染みを後に残しました。
そこで確信したのです。ラーメンは危険だと。
味も、見た目も、匂いも好きなのに、ズルズル音と跳ね故に食べられない。
ジレンマがあるかというと、別にない。
食べ物へのこだわりはほとんどないので。
思えば、麺類自体あまり好きではない気もします。
お腹に貯まらない気がして、すぐ空腹になるんです。
量を食べればいいのかもしれません。
ですが、そんなことするなら、最初からご飯ものを食べます。
お米、好きですから。
瑞穂の国の住人ですもの。
パスタについては思い出があります。
大学に入って、どんな機会だったのか、自分が入っている教職サークルの女子と、自分の高校の時の知り合いと彼が入っている放送部の女の子との四人でイタリアンレストランに行ったのです。
合コンと言えば合コンなのか。
合コンとは何をもって合コンと呼ぶのか。よくわかりません。
ともあれ、男子二人、女子二人で食事という、今では考えられない場が設けられました。
その時にみんなでパスタを食べたのですが、自分の知り合いの男子がこちらの食べ方をからかったのです。
自分はお上品とされる、スプーンとフォークを使った食べ方をしていました。
普段はフォーク一本で食べます。
でも、なんといっても女子と一緒です。
かしこまってみたい気分にもなります。
でも、その知り合い曰く、「本場ではスプーンとフォークを使って食べるのって子供だけだよ」とのこと。
なんなんですかね、この「本場では」人間。
あと、「元々は」人間もいます。
さも発祥の地のルールが絶対だとする人間。
今ではあまり見られなくなった気がしますが、自分が大学生当時、パスタをスプーンとフォークで食べるのは上流階級の仕法だったはず。
それが却って滑稽だったのかもしれませんが、いまだにその知り合いのデリカシーの無さを忘れていません。
自分を使って笑いを取る、そういった人間が社会にいるのが残念でならなかったのです。
友人と言わず、知り合いと呼ぶのはそういった理由からでもあります。
そんな気の利かない人は、一生彼女出来ないよ、と思いきや、大学を卒業するかしないかの時点で結婚してました。
性格も容姿も、人のことは言えませんが、パッとしないのに、なぜその人に惹かれる女性が現れるのか。
謎です。
でも、お金だけはあった。
大学在学中から会社を立ち上げて、結構うまいことやっていたらしいです。
お金か……と思えば納得、できません。
恋人なら、お金を沢山使って色々楽しませてくれる相手が良いかもしれない。
でも、結婚となると、お金をたくさん持っていても、そこに愛が無ければ嫌です。
見方を変えると、愛さえあればお金なんてなくても構わない。
愛って何だろうとは思いますが。
なんだろう、結局その知り合いに嫉妬しているのかな。