鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

価値を置く場所(後編)

居眠り運転をしてしまった場所は片方が崖のところと書きました。

幸い自分が走っていた方は、崖の谷底側でなく、斜面側だったのでガードレールにこするだけで大事には至りませんでした。

それ以後はさすがに用心深くなり、眠気が来そうな時は車に乗らないようにしました。

 

前回書いたように、この後すぐに自分はうつ病と診断され、働くことを禁じられます。

働けるのに、なんで働いてはダメなのか。

そういった不満はありました。

 

けれど、働けると思っていたのは自分だけで、周囲からはもうダメになっているのが見え見えだったようです。

療養を始めて二、三か月経過してから老人ホームで働いていた時を客観視できるようになって、ようやく自分の働きぶりが滅茶苦茶になっていたのだと気付きました。

信じられないくらい忘れ物が多くなっていたし、百文字程度の日誌すらまともに書けなくなっていたのですから。

 

症状を書き出すと、いつまででも書けてしまうので、ここでは取り上げません。

書きたいのは別のこと。

車に関わることです。

 

自分が価値あるものとしているのは、前回書いた通り、優しさや、信頼、誠実さといった精神的なものです。

お金には換算できない。

物質でもないので、儚く脆いものです。

それゆえに、使い捨てしやすいものと考える人もいるらしい。

自分には信じられないことですが。

 

療養に入ると車は使いません。

薬の副作用でぼーっとするので、乗ると危険です。

そして、当時の自分はもう回復できないと考えました。

うつ病になると悲観的になり、将来の展望を抱けないというのも症状の一つです。

だから、重要な決断はうつ病が治るまでは行わないこと、と医者からアドバイスを受けましたし、何冊か読んだうつ病に関する本にも書いてありました。

 

ただ、車はもう怖くて乗れないだろうな、というのは心の底からの実感です。

だから売ることにしました。

ネットで、何社かに一括で査定して貰えるサービスがあったので、そこに頼んでみて。

 

ものの五分も経たないうちに携帯電話が鳴りだします。

名前を聞けば大多数の人が知っているような中古車売買サービスチェーンからです。

それも、一件だけでなく、五、六件から。

その内、ざっと見積もりを聞いて、あと、対応を聞いて、四つの会社から見積もりを受けることにしました。

 

確か電話を受けた翌日にもう見積もりに行きます、とすべての会社の担当者が言ったように思えます。

なんなら、今からでも行きます、と言いかねない勢いで。

そこで、某G社が初めに来たのですが、本当に口が上手い。

詐欺師の手口です。

こちらに考える隙を与えず、ノートパソコンで(多分偽の)データを見せたり、実は大したことない車の傷を大袈裟に指摘して、「これは他の会社では大きなマイナス査定になりますよ。うちなら何とか手当てして、それなりの金額出せますけど」と言ったり。

とても熱心に、誠実に、優しく思えてしまったのです。まくしたてられたせいで。

 

それで、次の会社の人が来る前に某G社で売ることに決めてしまったのです。

電話で「申し訳ないのですが、もう決めてしまいました」と言って。

 

詐欺だと気付いたのは、というか、詐欺に限りなく近いと気付いたのは、前日に訪問を断ったとある会社から、再び電話がかかって来てからです。

自分がG社への売値を聞かれたのでそのまま告げると、「それは安すぎます」と断言されました。

「わが社ならその車がどんな状態であれ、その倍は出せます」とまで言われました。

ただ、思考能力が最低のラインまで低下していたんでしょう。

G社への先約という絆し(ほだし)にも捕らわれていて、あれだけ誠実に対応してくれたのだから、いくらかの損は引き受けないと、と思ってしまっていたのです。

 

おかしいな、と思ったのは、後で送ると言った書類がなかなか送られて来なかったからです。

だから、某G社に電話をかけて聞いてみました。

そうすると、いくらか貫禄のある人が電話に出て、自分の車を査定しに来た人の名前を怒鳴ったんです。

「おい!〇〇!あの書類まだ送ってねーのか?!」と。

もう、ほとんどやくざのノリ。

一番最初に電話を掛けてきたのは優しいお姉さん風の女性だったので、役割分担がきちんとなされているんでしょう。

売った客にはもう優しくする必要なんてないから、内情を聞かれたってどうでもいいっぽい。

 

解約はできたのですが、ほとほと疲れてしまって、それに騙されたことへの自己嫌悪も相まって、そのままにしてしまいました。

振り返って見れば、どうしてもっと強く出なかったのだろうと思います。

今以上に、上辺だけとはいえ、誠実さや信頼感を絶対のものと考えていたのか。

そんな悪い人がこの世に多いわけがない。

たまたまそうだったんだ、これは高いけど勉強代だったんだ、と詐欺に遭った人が思うのと同じことを考え、泣き寝入りしてしまいました。

ほんとは泣いていませんが。

感覚がマヒして、悲しいとも思えなかったというのもあります。

それに、車は自分にとってどうでもいい、価値を置くべきものではない、といった考えもありましたし。

 

お金を稼ぐために、信頼や誠実さを使い捨てにするというのは、その某G社の人に会ってわかったことです。

二度とあそこには頼みません。

おそらく車を所有することはこの先ないので、その機会もないでしょうが。

 

教訓として、車を代表とする高価なものは、「必ず」複数の業者から見積もりを頼むのを必須とすることです。

それを学びました。

車は別にどうでもいいけど、お金は痛かったなぁ。