軌跡~ある教員サークルの興亡~123
桃野さんが染谷さんに絡みだした時から、自分の堪忍袋の緒がチロチロと燃えていたのが、そこに来て焼け落ち、切れてしまっていたのです。
それまでの人生で怒ったことがないとは言いません。
でも、思い返せばそれらの怒りはただの癇癪。
お子様の怒りです。
ですが、この時は違いました。
理不尽さに対する正当な憤怒です。
ここまで言われ放題にされるのは許せない、と決然とした思いが胸中で燃えていました。
店は半地下だったので飲み会が終わり、外に出るには階段を上ることになります。
会計はいつもまとめて桃野さんがしていたので、彼が最後に店を出ることがほとんどでした。
その日、自分は清算時にトイレに行き、外へ出るタイミングを遅らせました。
桃野さんと二人で話をしたいからです。
もっともそれは極限まで穏やかな言い方にしたもので、本当のところは「喧嘩を売る」と言った方が近いかと思われます。
「桃野さん」
会計を終え、財布をズボンにしまった彼に、後ろから声を掛けました。
「おっ、……なんだ?」
こちらの様子がいつもと違うのを感じ取ったのか、桃野さんは慎重な速度で振り向きます。
場所は、出口へ向かう階段の一番下の土間部分です。
「染谷さんを見ているとか、こっちと付き合うかって訊いたり、止めて欲しいんです」
一人称の「僕」とか「俺」と言えない人間です。
だからどこか間が抜けてしまいます。
「そんなことか」
こちらが何を言うかと身構えていた桃野さんの肩から力が抜けるのが見えました。
ちょっとした不満の訴えだと見当を付けたのでしょう。
「そんなことで済みません」
即座に言い返します。
「迷惑なんですよ、ああいう絡み方」
これを言うのはかなり勇気が要りました。
足が震えそうになるのを、腰に力を入れてこらえます。
「こっちも嫌だし、染谷さんだって嫌がります」
どんな反応が返って来るか、生意気だと殴られるだろうか。
そこまで覚悟して言っています。
「わかったよ」
桃野さんは苦笑交じりに言いますが、それが癇に障りました。
真面目に答えていないな、と。
「二度と言わないでください、ああいうこと」
言うと同時に、左手で桃野さんの上腕部を掴みました。
相手が下手なことを言えば、右手を振るえる状態です。