鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

軌跡~ある教員サークルの興亡~57

 

お台場はカップルで行けば、それなりに楽しいでしょう。

でも、ダブルデートでもないただの四人組が行って楽しい場所ではなかったように思えます。

今は色々とアミューズメント施設が建ち並んでいて、友達同士でも楽しめるスポットになっています。

けれど、我々が行った当時はパレットタウン日本科学未来館といった娯楽施設はまだなかったはず。

記憶が曖昧なのですが、自分の印象としては、ただ自由の女神像がある、東京にしてはやたらと広い空き地といった感じでした。

本格的に開発が始まる直前だったのだと思います。

本須賀さんや畑野さんも、お台場に留まろうとはせず、ドライブを続けようとしたことから、そんなに面白い場所でもなかったのでしょう。

 

適当に大通りを走っているうちに、車は赤羽に差し掛かりました。

自分は横浜の片田舎でひっそり暮らしてきたので、赤羽と言われてもそれが東京のどの辺かわかりません。

もちろん何があるのかも知りません。

けれど、米野さんがこう言いました。

「この辺って、久慈さんの家が近いはずなんですよね」

それで、「どこか行きたい場所ある?」、「いえ、特には」といった会話が数度繰り返され、あてどなく走っていた車の行き先が決まりました。

何でもいいから、少しでもゆかりのある目的地が欲しかったところだったのです。

 

 

「正確な場所分かる?」

本須賀さんが訊き、米野さんがケータイを見ながら答えます。

久慈さんとのメールのやり取りで知ったのでしょう。

車は踏切を渡り、小学校の前を通り、だんだんと細い道に入っていきます。

一方通行の道に入ったあたりで、本須賀さんが「この辺だなぁ」とナビを見ながら言いました。

すると、すぐにT字路になった突き当りに、周囲の建物と比べ、窓の少ない一戸建てが目に入りました。

壁の色は全面グレーで、大きな直方体を二つ重ねた単純な形をしています。

二階は一回より小ぶりで、漢字の凸の字の側面が道路側から見えました。

四人とも直感します。ここだ、と。

そしてそれは、車が近付くにつれ露わになった表札に、回答として示されます。

「久慈」と。

 

家庭環境、よくその人の人物像を語る時に使われる言葉です。

主に家族との関係を指すものですが、家の構造もその人の成り立ちに何らかの影響を及ぼすのでは、と思ったのを覚えています。

それほどに、注文住宅であろうその家は変わって見えました。

家というよりも、何かの倉庫のようでしたから。

とはいえ、返す返すも、久慈さんには彼の知らないところでひどいことをしたものだと思います。

とろけるようなラブストーリーを書いていると暴露したり、こうして無断で実家にやってきては、家庭環境を勝手に推測されたり、自分が久慈さんの立場でそれらのことを知ったら、その時点で人間不信になったに違いありません。

後に、本格的な人間不信になった自分なので、そう言えます。

 

そのような久慈さんへの罪悪感のようなものを、車内の四人は感じ、共有したためか、久慈さんの家から遠く離れるまで会話が弾まなくなりました。