日常にトイレのある風景(後編)
キジを撃ちに行く、これは男性が上品な席でトイレに行く時の隠語だそうです。
女性の場合の、「花を摘みに行く」と相対しています。
なんでも、小用を足している時の姿が、キジ撃ちや花摘みの姿と似ているからとのこと。
自分の場合、キジ撃ちに行ってきます、と言うことはないですが、しょっちゅうトイレに行っていました。
用を足す以外に、息抜きのために個室に閉じこもることもしょっちゅう。
思えば、学生時代のアルバイトでとある資料館に勤めていた時も、休憩時間になるとトイレの個室にこもっていました。
迷惑にならないよう、他の個室が空いていることをしっかりチェックしてからです。それも、人気のないであろう和式トイレを極力選んでいました。
そこで立って、ただぼーっとしていたり、ズーキーパーというケータイゲームをしていたり。おかげで異様に高いスコアを出せるようになっていた気がします。
就職してからも、昼休みにおにぎりを食べ終わると、まず足を向けるのはトイレでした。
大きな図書館に勤めていた時は、利用者・職員双方の盲点にあるようような位置にある綺麗なトイレを見付けて、そこでひたすらゆっくりしていました。
手を洗う場所のカウンター部分が大理石だったり、個室のドアが木目調のパネルではなく、(多分)本当の木材を使っていたり、異様に凝った意匠が施されていました。
ひょっとしたら、一般職員が使っていい場所ではなかったのかもしれません。
ましてや自分は非正規。もってのほかだった可能性もないではない。
そういった場所もある不思議な図書館でしたから。
自分にとってそこはまさしく都会のオアシスでした。水もあるし。
やがて任期が切れ、その職場から離れなければいけなくなった時、一番寂しかったのはそのトイレから離れなくてはいけなくなったことです。
考えてみると、職場でも学校でも一人になれる場所は意外とないものです。
孤独が好きな自分は、そういう場所をいつも求めていたと感じています。
人と一緒にいると、本来の自分から離れてしまうようでちょっとないほど疲れてしまうから。
便所飯をしたと前回書きました。
さすがに公衆トイレではものを食べる勇気はありません。
空気に何が漂っているかわかりませんし。
けれど、学校や職場は、プロの人が掃除しているのだから、使っている人がとんでもないことをしなければ、汚くはないと言えるでしょう、多分。
そんなところで食べなくても、学校や職場にある机で食べればいいと言う方もいらっしゃると思います。
自分もその意見に半ば賛同します。
半ば反対するのは、蔑まれてきた自分のような人にとって、食事をするという無防備な状態を他者の前に晒すのが恐怖だという気持ちもあるのです。
学生時代なんて、他の人が皆机を寄せ合って談笑しながらお弁当を食べているのに、自分が一人だけぽつんと陰気な様子でぼそぼそと口を動かしているのが惨めで惨めで仕方なかった。お弁当を作ってくれた母に悪くて、こんな些細なことでも自殺を考えたほどです。
今考えれば、一人でお弁当を食べている同級生も少なくなかったのでは、とも思い返されます。
視野が狭かったのだと。
とはいえ、大学へ行っても、やはりトイレでおにぎりを食べることも多かった気がします。
どこかの空き教室で食べればよかったのかも、という考えはありました。
なんでそうしなかったのか。
……おそらく、一人で食事している寂しい姿を見られるのが嫌だったのでしょう。
一度、昼休み前の授業が終わった時、そのまま席に座っておにぎりを食べていたことがあります。
その時、空き教室を使って何かのミーティングしようとする集団がいきなり来ました。
十人弱いたでしょうか、にぎやかなサークルのメンバーらしく、わいわい話しながらやって来て、こちらを一瞥すると、無視して黒板を使って何やらわけがわからないことを話し出しました。
恥ずかしさで、何を話しているのかまるで頭に入ってこなかったので、わけがわからないと思ったのかもしれません。
あれはきつかった。
「ここ、サークル活動で使うんだ」と一言でも言ってくれればまだ救われた気持ちになったでしょう。
人を深く傷つけるのは、無視です。存在を認められないこと、ゼロの価値しかないと思い知らされることです。
その時がそうでした。
それ以降、空き教室で昼食を取れなくなりました。
孤独で無残な姿を見せられませんから。
これらが、自分の便所飯をする理由です。
他に選択肢があったのか、今考えてみても思い付きません。
神経の細い人が増えてきている今、どこかにおひとり個室(無料)が気軽に利用できる場所をせめて学校に設けるべきだと提案したいです。
それで、どれだけの人が救われるか。
一方で、昼食はコミュニケーション能力を高める場として、積極的に友人知人と関わるべきだったかという反省もあったりします。
そうしていれば、今の袋小路に陥らなかったのかもしれない。
振り返りの中に、様々な選択肢があります。
ありました。
間違ってきたのか、そうでないのか。
答えはやはり保留となります。