鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

人もうつりかわり

 

同じ人なのに、態度が変わる。

人間は社会的生物なので、環境によってその場その場の対応を変化させるのは当たり前なのかもしれません。

そうわかっていてもなお、ころころと表情を変化させる人がいるのに慣れません。

 

父親がそうでした。

笑っていたかと思うと、次の場面では怒鳴りだす。

和やかな雰囲気で過ごしているかと思いきや、頭の中は沸点に達している。

いつ怒るか、何がきっかけで機嫌を損ねるか、大人になった今でも理解できません。

そもそも理解したくないですし。

酒乱なのもあります。

けれど、アルコールが無い時もそうだったので、元々の性格のネジが飛んでいたのでしょう。

 

かくいう自分も、全くそういう面が無いとは言い切れない気もします。

わけがわからない小さなことで怒りが湧いてくることもありました。

中学生の昼休み、折り畳み傘をバットにして野球をしていて予鈴が鳴った時、一緒に遊んでいたクラスメートから「これ片付けといて」とその傘を手渡されたことがありました。

「は?」と答え、投げ捨てて教室に戻った自分がいます。

今でも、なんでそんな小さなことに腹を立てたのかわかりません。

パシリ扱いされることを心が許さなかったのか。

「自分で片付ければ?」とでも言って断れば、自分の気まずさも、相手の不満もそう募らなかったように思えます。

思えばあの頃から既に変な人間になっていたのかと推測します。

自分の物差しだけで現実を見るようになっていた。

傘を投げ捨てる時に、金具が指を傷付け、驚くほど血が出たのを覚えています。

でも、痛みよりも、状況の訳の分からなさの方が大きかったように思っています。

なぜ自分に頼んだのか、なぜあんな激しい拒絶をしたのか、どうして説明しようとしなかったのか。

「そういうキャラだから」、簡単に言えばそうなるかもしれません。

所詮いじめられる側の人間です。パシリに使うなんて当たり前だったのか。

でも、あの時は対等な立場でみんなと一緒に遊んでいたと思うのだけれど。

実は目に見えないカーストがあったのか。

変人の自分にはそれが見えていなかったのか。

 

そういった訳の分からなさは自分を混乱させます。

何より、自分も父親のような筋の通らない、沸点がどこにあるのかわからない人間にはなりたくないというのもあります。

だから、自分は出来るだけ裏のない人間になろうとしました。

そう考えていること自体、裏があるという矛盾はあるから、「できるだけ」という留保を付けたのです。

 

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その視点から世間を眺めてみると、社会には仮面をつけた人がなんと多いのか、愕然としてしまいます。

特に、「社会」の窓口である大学に入った時にそれを強く感じました。

ここまで人って変わるのか、そう実感したのが入学してからの一週間ほどの期間にありました。

入学するとサークルの勧誘が多く来ます。

自分のように陰気な人間にも誘いが来るくらいですから、風貌が華やかな人はもっとでしょう。

何かのサークルに入ろうとは思っていたので、誘われたところへはなるべくついていきました。

中でも通称落研(おちけん)=落語研究会の勧誘は会長(というのかな)自身がチラシのようなものを配っていて、その腰の低さに好印象を持ったので詳しい説明を聴きに部室まで行きました。

眼鏡をかけ、長身ながら小太りの彼は、見るからに人が良さそうです。

話し方も丁寧で、落語に全く興味がない自分でも、こういう人がいるところならもしかして面白いものなのかもしれないと思うようになるくらい。

どの授業が単位を取りやすいか、教員になるにはどの授業を取ればいいのか。(そう、恐れ多いことながら教師になろうとしていたのです、入学当初は)

そういうのを、実際に紙に時間割を書いてくれながら教えてくれました。入会するとも言っていないのに。

ただ、それは自分に対してだけでなく、他にも説明を聴きに来た新入生には他の先輩が同じように教授していたので、伝統のようなものかもしれません。

伝統とはいえ、親身になるって、なかなかできることではないと思いますが。

 

他にも色々サークルを見て回り、結局落ち着いたのは「教員サークル」という名前からして生真面目なところでした。教職員を目指すための人の集まりです。

会員数も新入生を入れて10人いなかったんじゃないかと思います。

そもそも大学側からサークルと認めてもらっておらず、従って部室もない同好会のようなものです。

一応申請はしていたらしいですが、結局自分が入会している一年弱の間、ついぞ部室を持たせてくれませんでした。

では、集まりがある時にはどうするのか。

空き教室を使うのです。

ここらへん、前回の話にちょっと繋がっているのかと。

 

ある時、教室で模擬授業をしてみようという話になりました。

本当に生真面目な活動です。

その日に活動に参加していた六人くらいが、手近なところにある教室に入り、高校の教科書を片手に授業のまねごとをしました。

十何分か過ぎた時、いきなりドアが開き、五、六人の学生がちょっといらだった様子で入って来ました。

「あっ」と思ったのは、その先頭に立っているのが、親切にしてくれた落研の会長だったから。

自分のことを覚えているかな。

覚えていて欲しいような、でも、結局他のサークルに入ったので、覚えていてほしくないような、複雑な心境です。

が、すぐに、覚えられていなくてよかった、という事態が出来します。

 

落研の会長は不機嫌そうな声で、「ここ、使用許可取った?取ってないよね?俺らが取ったんだから」と我々に向かって言い放ったのです。

勧誘当時の親切な口調なんて片鱗もなく。

「勝手に使われると迷惑なんだけどな」とも言います。

嫌な奴です。

勝手に空き教室を使っていた自分が言うのもなんですが。

「使用許可取ったの俺たちなんで、悪いけど使わせてもらっていいかな」とかオブラートに包んで言えないのでしょうか。

ところでオブラートって、今使っている人いるのかな。

元はオランダのもので、でんぷんから作られる薄い膜とのこと。ただ、オランダ語でオブラートは儀式に使うパンの一種を差すので、日本での感覚で「オブラートあります?」と言っても通じないという。

そもそもオブラートなんてここ30年見たことないです。

曾祖母が使っていて、子供の頃に貰った記憶があります。味も何もなくて、でも舌の上で解けるのが面白くて、曾祖母の家に遊びに行くたびに貰っていました。

粉薬をうまく飲むための物でしたが、今では、料理の色付けに使われたりと、用途も変わってきているようです。

 

と、それはいいんです。

落研の会長は、まさに人が変わったように不快げです。

勧誘の際に感じた人の好さなんて、これっぽっちも感じません。

ああ、人ってこんなに変わるのか、とカルチャーショックでもありました。

後々、こんなことは数多く体験するのですが、人には多くの面がある、中には信じられないくらい表裏のある人もいるという洗礼を受けさせてくれたのが彼でした。

そこで慣れていればよかったのです。

それなのに、自分は、人ってもっと表裏のないものなんだ、と信じたい気持ちが強すぎたのでしょう。

完全に裏切られる時のダメージが極大になってしまったのですが、その話はまたいずれ。