鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

軌跡~ある教員サークルの興亡~1

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大学デビュー。

思えばそれを果たそうとしていたのかもしれない。

一年浪人し予備校に通ったことで忘れていたのか。

自分が社交的な人間ではないということを。

 

四月初旬の入学式の日、早咲きの桜が散り、新緑を待つ茶色の枝が目立つ構内に金ボタンのブレザーを着た自分がいました。

古風な両親が選んだ服です。

金ボタンの服なんて、人生において着る機会がそうあるものではありません。

実際、この入学式以外で着た覚えが無いですから。

今もクローゼットに眠り続けています。もったいないので。

こう書いてきて気付きました。

ボタンを付け替えれば普通の礼服として着られるのでは、と。

時間があったらそうします。

 

学生が集うホールで校長やら会長やらOBやらのありがたいお話を聞き、外へ出ると自分は一人。

周囲を見ると、いつの間にか新入学生同士のグループが出来ていて、お喋りをしながら構内を歩いていくのが見えました。

どのタイミングで話し合って仲良くなれる機会があったのか、人間関係に疎い自分には未だに不明です。

今ではTwitterやラインなどのSNSがあるから、そういうので入学前に繋がることは可能だとは想像できますが、当時、PHSがやっと普及し始めた頃に、そんなのを持っている大学生は少数派だったはず。

ましてやSNSなんてなかったんじゃないかと思います。

 

とすると、入学式の最中に席が隣だから、という理由一つで結びついたのか。

信じられませんが、機会と言ったらそれくらいしかないはず。

なんて人間関係を築くのが上手い人が多いんだ、というのが大学に入ってから受けた衝撃の第一でした。

 

仕方なく一人で構内を歩いていると、そこは一応新入学生ぽい格好をしているだけあって道の両脇に待ち構えているいくつものサークルの勧誘者からポツポツと声を掛けられます。

中には昼食を奢ってくれるサークルもありました。

以前書きましたが、結構つらい思い出です。

 

大学に入ったらサークルに入るもの。

そういった先入観がありました。

半ば義務的なものかという強迫観念もありましたし。

でも、振り返って思うのは全然そんなことない、という事実。

あんなもの入らなくてもどうにかなります。

と、どうにもならないことになっている自分が言っても説得力ゼロですが。

 

そういった悪戦苦闘が実に入学式初日にありました。

そこら辺で、もう嫌だ、と人付き合いを苦にする自分は気持ちが萎えかけていたのです。

足はキャンパス内の人が少ない方少ない方へ動いていきます。

なだらかな斜面に樹齢何十年という銀杏の木がまばらに生えた中庭のような場所に着きました。

ベンチに腰を下ろし、一日終わるごとに黒く塗りつぶしていた高校時代のカレンダーを思い出していました。

『今日もやっと終わってくれた』。

その一日をマジックで濃く塗り潰す時だけが癒しだった日々。

またそういった日々が始まるのか。

思えばその時にはもう軽度の鬱が発症していたのかもしれません。

 

でも、救いの手が差し伸べられたのです。

本当に救いになったかは今となっては疑問符が付くのですが。

 

「こんにちは、教員サークルにご興味ありませんか?」

ショートカットで眼鏡を掛け、午後の白い光に映える淡いベージュのセーターにこげ茶色のチェック柄のスカートを履いた女性が声を掛けて来たのです。