鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

レールが敷かれていれば

 

自分の性格、感性、そもそもその土台となる精神が狂っているため、幸せを感じることが出来ずにいます。

何をもって幸福とするか。

色々な定義はあるでしょう。

お金を持つこと、人脈に恵まれること、家庭を持つこと、好きな人といられること、等々。

 

自分にはどれもありません。

どれも望んでいません。

だから、例え手に入れても幸福を感じられる気がしないという。

 

その状態でなんで生きているのか?

何を人生に臨んでいるのか?

問われても答えられません。

なんで生きているんだろう?問い続け、答えが出ないから棚上げした質問ですから。

 

そんな自分でも満ち足りた気持ちになったことはあります。

熟語で言えば満足。

幸福と満足と何が違うのか。

幸福は、その状態の中に安らぎがあると思えます。

満足は、それ以上のものは求めないながら、安らぎを感じていない。

そんな違いでしょうか。

厳密には異なるかもしれません。

でも、今回は上記の定義で話したいと思います。

 

幸福を感じたことはあまり記憶にありません。

けれど、満足したことはあります。

それが浪人時代。

大学受験のために予備校に一年通ったのですが、その時代、自分は満ち足りていた。

 

予備校に通えるだけで、胸がいっぱいになっていました。

受験が終わり、予備校を卒業する時期になると沈み込んでしまうほどに。

 

予備校の何にそこまでの満足感を得ていたのか。

それは、やるべきことが明確かつ唯一に絞られていて、しかも周りには志を同じにする仲間ばかりがいたからです。

予備校の目的はただ一つ、受験に合格することです。

やるべきことは勉強。それだけがその時の生きる意味だった。

それ以前も以後も、「ああ、今自分は生きている」と思ったことはありません。

あの予備校時代だけです。

あと、仲間と書きましたが、こちらが勝手にそう思っているだけで、特に話したりはしなかったのですが。

 

さらに過去を見たまま話すと、その予備校時代が最後のレールが敷かれた人生だったんです。

レールの上でしか走れない自分にとっての一年のモラトリアム。

思いっきり走って、それなりに成績も上がって、さらに、これが一番かもしれませんが、チューターと呼ばれる中学・高校では担任に当たるような女性スタッフに褒められたというのが大きいです。

男子校に通っていたので、女性と話せるだけでもドキドキするのに、ましてや年上のお姉さんから褒められたのですから、それは莫大な動力源となりました。

 

このようにレールが敷かれていれば、ある程度はうまく走れるようです。

ポンコツの自分でさえ。

大人になって十数年経って、未だにこんなことを言っているのは恥ずかしいことだという自覚はあります。

レールの上でしか走れない。だからレールを敷いて欲しい。

周囲の皆が何を支えとして、何を目指して、どこへ向かおうとしているのか。

向かった先に何があるのか。

そしてそこに至れば満足が得られるのか。

教えて欲しいというのが本音です。

幼い願いだというのは痛いほど知り尽くしているのだけれど。