鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

軌跡~ある教員サークルの興亡~7

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「なんだよ、ほとんど国文サークルじゃないか」

教員サークルの新歓コンパが大学からほど近いチェーンの居酒屋で開かれました。

と、ここでふと疑問が。

コンパってなんだろう?と。

集まってお酒を飲むこと、というのは大体わかりますが、語源です。

調べると、英語の「company」から来たよう。

意味は「会社、仲間、交際」などなど。

新入生歓迎カンパニーとすると、歓迎のための交際、交友、そして会合になった、のか?

とりあえずこれが語源らしいです。

 

「国文サークル」と評したのは本須賀さん。

彼は三年生で経済学部の先輩。

髪を薄い茶色に染め、フチなし眼鏡を掛け、春物らしい薄手のジャケットを着た都会風のイケメン風普通の人。

確かに、ここに集った教員サークルのメンバーのうち最上級生である三年生は五人いる中で彼以外全員国文科です。

二年生は国文科が一人、理数科が二人。

自分を含む新入生は、実に国文が六人中四人が国文、二人が史学部。

全十四名中、九名が国文科なのです。

 

こんな偶然あるのか、と思ったものです。

でも、冷静に状況分析してみれば、桃野さんが手際よく時間割を作れるのは彼が専攻している国文科のものだけ。

そして、本須賀さんをはじめ、二年生の理数科コンビも新入生に時間割を組むというサービスをしていなかったのだから、国文科の人が多いのも当然だったのです。

その頃自分は馬鹿だったから、今でも馬鹿ですが、「わぁ、同じ学科の人多い。友達になれるかな」と能天気に考えていたものでした。

本当に小学生レベルの知能です。

 

 

新入生からしてみると、大学三年生と言うのはやけに大人に見えるものです。

後で気付いたのですが、その時の彼らは大人に見せていた、というのもあると思います。

タバコを吸ってみたり、訳知り顔で新入生でも半年くらい大学で過ごせばわかるようなことをもったいぶって喋ったり、カタカナの専門用語を使ってみたり。

そういった小細工にまんまと引っ掛かってしまっていたのです。

悪意があるような書き方に見えるかもしれませんが、それが悪いとは考えていません。

受け取り手の問題なのでしょうから。

自分がうぶ過ぎた。世間知らずでした、本当に。

だから先輩の一挙手一投足に「すごいすごい」と心の片隅で喝采していたのです。

 

「そういうバイアスが掛かると、物を見る目が霞むから注意しないといけないんですよ」

などと、二年の久慈さんが話します。カタカナの専門用語を使う人間の好例です。

バイアス、偏りや偏見といった意味です。

今辞書を引いて確かめました。知りませんし、知ったところで特別役に立つ知識でもないですから。

ただ、うぶな自分は「こんな議論ができると人生豊かになるんだろうなぁ」とぽわ~んと思ったのを覚えています。

 

ところがこの時、別の意味でぽわ~んとしてしまっている人がいたのです。

それが米野さんという史学部一年の女子。

ショートカットで眼鏡を掛け、階段で転んだら手足がバラバラになりそうなほど痩せている女の子です。

自らを実際以上に大人に見せるトリックに見事に引っかかってしまっています。

もちろんその頃の自分は、親指と薬指だけでグラスの縁を持ち、くいっとビールを喉に流し込む久慈さんを「ちょっと格好いいかも」と思っていたりするのですが。

 

三年の先輩相手にも物怖じせず、堂々と、でも斜に構えた位置から意見を言う久慈さんに、米野さんの心は惹かれていたのです。