軌跡~ある教員サークルの興亡~24
新明解国語辞典(三省堂)の「ストーカー」の項にはこうあります。
「相手はいやがっているのに、後を追ったり、待ち伏せをしたりして、しつこくつきまとう偏執狂的な人」と。
漫画なら額に汗が伝う描写が挿入される場面です。
後を追ったり……した。
待ち伏せをしたり……した。
しつこくつきまと……ったかもしれない。
ですが、偏執狂的であったかというと、そうではなかったと言い切れる気がします。
白山さんのことが頭から離れないといった状態には一度もなっていません。
予備校に通っていた、片思いの最盛期でさえそうです。
よく、身を焦がすような、とか、すべてを捨ててもいい、といった恋の表現が邦楽の詩の中に散見されます。
そういった我を忘れて白山さんのことを思い続けた記憶がありません。
恋に限らず、何かに対して我を忘れて熱中したことなんてなかったのではないか。
心を持たない人間だからこそでしょうか。
辞書のストーカー定義にある、残りの要件。
これこそ最も重視すべきものだと思われますが、「相手は嫌がってい」たのかどうか。
判断しかねる部分です。
仮にも自分を慕ってくる人を、嫌な顔をして追い払わんとする白山さんじゃありません。……自分から見れば。
例え三年、いや、予備校時代も入れると四年ほど付きまとわれたにしてもです。
そうなのです。実に四年間、自分は白山さんの下へ通い続けました。
とはいえ、何回も行ったのではありません。大学一年、二年、三年に各一回ずつ。
その度に、湯島天神の学業成就のお守りを用意して予備校に行きました。
そして、予備校のカウンター越しに十分ほど話をします。
二年までは気のいいお姉さんといった態度で接してくれました。
ところが三年の十二月に行った時、白山さんはこちらの姿を認めてからカウンターに来るまでじれったいほどの時間を掛けました。
でも、好きな人を待つ、待てる時間なので、イライラは皆無です。
むしろ焦らされれば焦らされるほど、対面した際の喜びが大きくなるというもの。
ましてや相手は目に見える場所にいるのですから。