綺麗に負けられない
勝ち組と負け組。
一時期、マスメディアやネットでよく使われた言葉です。
事業の成功者やいわゆるお金持ちが勝ち組、そうでない人を負け組、そのように分類していたと思い出されます。
ところがここ数年、その言葉を以前ほどは目にしなくなりました。
一体いつから、何をきっかけに、と考えて思い付くのが、東日本大震災。
あの時に、日本人は等しく負けたのではないか。
何に?
自然にです。
あれだけ大規模な災害に遭い、勝利を掴める人など有り得ません。
復興特需で儲けた個人や団体もあったかもしれませんが、彼らもまた「負け」を前提にしているため手放しで「勝った」とは言えないはずです。
その後自粛ムードもあり、何事にも「勝った」と能天気に言えない空気が張り詰める中、この勝ち組や負け組といった概念自体が風化していったのでしょう。
そのような省察をしつつ、でも実生活には勝ち組と負け組が依然として存在する気もする、と感じたことがありました。
話は急に規模が縮小し、私の実生活へと焦点を移します。
病院へ行き、診察を終えて会計をしようとした時のこと。
大学病院で、午前に診察が集中しているのか、私の行く午後は空いています。
また自動の会計機があるために、対人で支払いをするカウンターにはスタッフの女性が一人しかいませんでした。
私は自立支援医療制度を使っているために、専用の手帳に診察代を記載してもらう必要があるので病院の職員を通さなくてはいけません。
自動会計機は使えないのです。
カウンターに着いた時、一人の患者が代金を支払っていたので、私はポールが並べられた「こちらでお待ちください」と注意書きのある位置に立って順番を待ちました。
前の患者がカウンターから離れたので、次は自分だと一歩を踏み出そうとした時、「おい!あの機械じゃ払えんよ!」と七十歳くらいの高齢男性が、私から見て四十五度左前の地点から近付きつつ、スタッフに怒鳴り声を上げました。
何ごとかと見守っていると、カウンター内の妙齢の女性が、「どういたしましたか?」と冷静に質問を発します。
「どうもこうもないよ。あの機械じゃだめだ」と、なおも怒鳴る男性。
職員の女性は診察券を受け取ると、診察代を口頭で告げました。
恐らくその老人は、ただ機械に弱かっただけなのでしょう。
耳が遠いのか、三、四回聞き直してから代金を支払い、こちらを一顧だにせず男性は去って行きました。
そこで気付きます。
横入りだよな、と。
文字通りの意味で彼は傍若無人。
傍らに人無きが若(ごと)し、です。
死語を使って言えば、私のことなどアウトオブ眼中だったのです。
人が多い時にカウンターの横で、スタッフの手が空くのを待つために列を作る場所があることすら彼の頭にはありません。
無神経な……と思うと同時に、これまでも彼は同様のことを方々で繰り返してきたのだろうと容易に想像がつきました。
順を抜く一点について、彼は勝ち組なんだ、そう思いました。
それと同時に、ルールを堅守し、型破りな行動をとれない私は、このような場面ではずっと負け組なのだとも思ってしまいます。
久しぶりに勝ち組と負け組といった分類を意識させられた事件でした。
どうせ負け組ならば、ソメイヨシノのような、日本人の美徳にある「散り際は美しく」ありたいものです。
ですが、今この文章を書いている時にも悔やまれて自己嫌悪になってしまうことをしてしまいました。
その後、いよいよ私が診察代を支払う段になって、カウンターの女性に「今の、横入りですよね」と言ってしまったのです。
愚痴のつもりも、嫌味のつもりもなく、ただただ事実確認のために思わずポロリと出てしまった言葉。
けれどどう見ても、文句を言っても仕方ない人にどうしようもないことを言うダメ人間です。
言うのならば、横入りをしてきた男性に言うべきでした。
女性はそんなクレームにも慣れている様子で、「申し訳ありません」と形式的に謝りました。
どう転んでも格好がつかない人間がいます。ここに。
綺麗に負けることすらできない自身に、尽かし尽くしていたはずの愛想を更に尽かせました。
憂鬱です、とても。