スキゾイド症者との対話 4/4
スキゾイド症者同士の対話ならば、何を話しても話者の心は傷付かないかと思われます。
何しろ心自体が無いようなものですから。
けれどそこに第三者が入ると、その人は本来受けなくていい傷を負ってしまうこともあり得ます。
私がこれまで以上にひっそり生きようと決意した事件が、TさんとTさんを紹介してくれたおばちゃんと、そして自分との間で起こります。
その時に傷もまた生まれた気がしますから。
何の変哲もない午後のぽっかりと空いた時間に、研究棟の休憩室でTさんと二人、中学、高校時代の話をしていました。
彼は喘息の症状が重く、出席日数がギリギリで中学卒業が危ぶまれたと聞いたのもその時です。
たまたま、八畳ほどの大きさの休憩室にいた例のおばちゃんが「大変だったわねぇ」と会話に割って入りました。
我々二人きりで話したいとの思いも皆無だったので、自然な成り行きで会話は三人で進行し始めます。
Tさんが関節リウマチの治療で学校を長く休んでしまい、やはりギリギリで高校一年から二年に進級できたとの話が終わると、おばちゃんも「大変だったわねぇ」と心からの同情を発しました。
「いえ……。そんな大層な話ではないです」
Tさんは、おばちゃんの少々誇張された同情に戸惑います。
その気持ちは私にもわかります。
スキゾイド症者にとって、ただの同情でも持てあますのに、それが過度のレベルになると困惑にしかなりません。
それだけで済んだらまだよかったのです。
けれどおばちゃんは我々の気質を見極めず、「高校生って言えばね」と、普通の人だけを相手にしなければいけない話を始めてしまいました。
「私は今、高2の息子がいるの。一丁前に反抗期があったんだけど、やっとそれも終わりかけていてね。同級生の女の子と仲良くなったんだけど、その子がたまたま私の友人の友人の子だったから、一度母親同士でお茶を飲みに行ったのよ。間に入っている友人も入れて三人でね。私が『うちの愚息に娘さんがよくしてくださって、ありがとうございます』ってお礼を言ったら、その親御さんが『とんでもありません。こちらこそお礼を申し上げなければいけないんです』ってすごい恐縮するのね。異常なほどに」
そこまで言うと、おばちゃんは鞄からハンカチを取り出しました。
それで、私は話が苦手な方面に向かっているのを察しました。
「遠慮にしては度が過ぎるなって思って、『うちの息子が何か致しましたか?』ってそれとなく訊いてみたの。そうしたらね……」
おばちゃんはハンカチで目元を押さえました。
「その娘さん、重い病気に罹っていてね。余命三年だってお医者さんに言われているというの。まだ十六、十七の子なのに。……それが可哀想で可哀想で……」
嗚咽までは行きませんが、おばちゃんの涙は長い間止まりませんでした。
その話を聴かされるのはきついものがありました。
それはTさんも同じで、何の言葉も返せない今の状況に困っているのが表情から読めます。
おばちゃんの息子とその彼女との境遇が可哀想だからとの理由ではありません。
一般常識として、そこでは同情すべきだというのは理解しています。
ですが、心に響かないのです。
何度も言うように、その心がほぼ無いに等しいのだから。
自分のごく近い範囲で起こった、しかも興味のあることにしか感情が揺らぎません。
当時はなぜ自分がこんなに冷たいのだろうと、おかしいと思う気持ちがありました。
ですが、今は答えがわかっています。
そう、スキゾイドだから。
Tさんが私と同じく、おばちゃんの話に無反応だった理由も同じでしょう。
ひとしきり泣いた後で、彼女は我々の冷淡な態度に不可解を覚えた、そして非難めいた視線を寄越しました。
それでも何も言えません。
気まずい空気が休憩室に満ちました。
誰が悪いというのではない事柄でしょう。
ただおばちゃんは話す相手を決定的に間違え、ただ私たちに心が無かった、それだけのことです。
それでも心のないままに、まがりなりにも数年社会経験を積んだ今、あの時の私の冷淡さはやり切れない記憶として頭にこびりついています。
偽善でも優しい言葉は掛けられたはず。
おばちゃんが身を切るようにして口にした話を、無視で返したことに反省点があります。いや、猛省点です。
彼女が負わなくていい傷を負っていなければいいのですが。
傷はなくとも、怒ってはいるかもしれません。
ですが、痛手を負っているよりは、怒っていてくれた方がずっと気は楽です。
そのようなスキゾイド症者の自身と、健常者とのすれ違いは後にもたくさんあります。
そこで精神が削られ、軋みとなり、破断したのが今の状態。
こうして私は壊れました。
でも、振り返ってみれば一方的な被害者ではないのがわかります。
こちらが同調し得ずに傷付けてしまったが故に、返す刀で傷を与えてきた人もいますから。
だから今は反省と、当意即妙の対応を身に付ける学習の時です。
恐らく、これから一生そうです。
Tさんとの親密な時は季節が進むにつれて、自然と薄れていき、お互いが修論や卒論で忙しくなるとまったく消えてなくなっていました。
これが過去、私が経験した二人のスキゾイド症者との対話の記録です。
そこで学んだのは以前書いた通り、スキゾイド症者同士付き合ってもどこにも辿り着かないということです。