鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

軌跡~ある教員サークルの興亡~125

 

二人が並んで外に出ると、本須賀さんが「遅いぞ、何やってんだよ」と、芝居がかった態度で不平を漏らします。

「いやー、悪い悪い。ちょっと男同士の話があってな」

さすが二年も無駄に生きていません。

緊迫した空気を即座に洗い落とし、桃野さんはこちらの肩をポンポンと叩いてから側を離れました。

「土屋は大丈夫か?大分酔ってただろ」

彼が、地下で何かがあったという様子を全く見せないので、路上で待っていたメンバーも普段通りにお喋りを始めました。

土屋君もガードレールに腰掛け、桃野さんの問いに「大丈夫っすー」と酔っ払い丸出しの口調で返事をしています。

 

 

今振り返ってみると、桃野さんの理不尽さに怒った自分という構図になっているとは思います。

でも、本当に理不尽だったのは自分の方です。

確かに桃野さんに対しては腹が立っていましたし、堪忍袋の緒が切れたのも彼のせいです。

けれど、自分があの時にぶちまけた怒りには、それまで言われ放題、からかわれ放題だった人生に対する鬱屈した思いが混じっていました。

というか、あの日の夜に受けた仕打ちなんか霞むくらいの過去のつらい思いがそこに込められていたと思われます。

つまり、桃野さんは本来受けなくてもいい怒りを受けてくれたのです。

 

当時の彼より年上になり、後は、やはり鬱症状とスキゾイドとを備えた今現在から見てみると、あの夜最後に「悪かったな」と謝った桃野さんは度量が広かったのだと考えさせられます。

鬱になり、変な価値観が壊され、虚飾が無くなります。

スキゾイドは、世の中への無関心から、却ってそれを公平な目で見られるようになると思われます。

そうして、自分の身から距離を置いた過去の人として桃野さんを見てみると、よくこちらの我儘な怒りをまともに受け止め、理解し、その上謝罪まで出来たな、と感心します。

根本的に相容れない部分があるため、好きになれない人だけれども、人生において一目置かざるを得ない人ではありました。