文章に溺れたい
前回車のことを書いたせいか、その日の夜に運転していたら駐車禁止で捕まる夢を見た。
我ながら、なんという単純な頭の構造か。
じゃあ、楽しいことを文にすれば、その日の夜は楽しい夢を見られるのかと。
そんなことを思いながらも、今自分が楽しいと思えることは何かというと、何もなく。
鬱だからか。
性格だからか。
スキゾイドだからか。
果たしてどれか。
何を楽しみにして生きているんだろう。
本を読むこと?
わからない。
読書は好きだけれど、楽しんでいるのかどうか。
食事や呼吸と同じように、存在に欠かせないから本を読んでいる感じがする。
手元に読むものがないと落ち着かない。
活字中毒と言うのだと思う。
「活字中毒」、最近聞かないけれど、死語になっていなければいい。
中毒どころか、依存症のレベルである気もしないでもない。
だから、新コロナウイルスで図書館が閉館するのは結構痛い。
このウイルス、収束が見えない気がするのだけれど。
本番はこれからの気がする。
杞憂に終わればいいとは、さすがに心が欠如している自分でも思う。