軌跡~ある教員サークルの興亡~110
「桃野さんはプレイボーイなんですか?」
無邪気に訊くMさんに、「プレイできないボーイです」と即答してしまいました。
手を握られて上気しており、言葉を抑える弁が働きを失っていたのです。
自分以外の三人が失笑を漏らします。
畑野さんが笑うと、握った手が揺れてくすぐったくも、気持ちよくも感じます。
不思議なのは、その手から「女」という「異性」を感じているのに、性的なイメージが頭に浮かばなかったことです。
こうして人に見られる文章だから、綺麗ごとを書いているのではありません。
手、手首、肘、二の腕、肩、脇、鎖骨、胸、と連想していけそうでしたが、そうはなりませんでした。
異性との交流がなかったため、とも考えていたのですが、うつ病と併発した、というか、鬱の治療過程で医師から指摘されてわかった自らの気質、スキゾイドによると考えればすんなりと筋が通ります。
スキゾイドの人間の典型的資質として、「他人と性体験をもつことに対する興味が、もしあったとしても少ししかない」との項目があります。
その時、畑野さんの手を握っていても、思考がエロチックな方へ向かわなかったのは、スキゾイド資質の発露でしょう。
その晩、かなり長い間畑野さんと手を握り合っていました。
やがてS大学の先輩男子が広間に移り、代わりに片瀬さんが帰って来ても、本条さんと入れ替わりで土屋君がやって来ても手を繋いでいましたし、それから畑野さんが恐らくトイレへ行って席を離れても、彼女が戻ってくると再び手を繋ぎ直しました。
他の三人には気付かれないように、テーブルの下の秘密としてです。
この夜の記憶は、気まずさの塊としてずっと後まで胸に残りました。
女性とそれだけ親密に過ごした時はなかったので、甘美な思い出になりそうなものですが、スキゾイドのフィルターが甘さだけを取り除いたかのよう。
罪悪感は、甘さより粒子が粗く、フィルターでは濾されないままにしつこく心身に絡み付いていたのです。
罪悪感というのは、自分の良心に対してであり、それ以上にもちろん本須賀さんに対してのものでした。
そのことがあるまで、不倫する男女の心境を理解できませんでしたし、理解したくもありませんでした。
ですが、少し自制心が弱い人は自らの本能に抗えないかもしれないとの可能性を見たのはその時です。
危機管理の意識が甘い人は、雰囲気に流されるままに不貞を働くこともあるのでは、とも思いました。
と、真面目そうに振り返りますが、当時はそのように自分の心の中のもやもやを系統だてて整理できていません。
困ったな、との思いと、その延長線上にはもっと困る事態があるだろうと、薄々推測できただけです。
自分がそこでストップをかけられたのは、何度も言いますがスキゾイドのためであったと考えています。
厄介な人格障害ではありますが、他者との衝突を極力回避する素地が形成されていたのが、結果的に良かったのだと思います。
一方で、ブレーキが利かず、成り行きと欲望のままに突き進む人もいたのです。
自分がそれを知ったのは、夏と秋の空気が行ったり行きつ戻りつしていた九月の末の頃でした。