籐のシート
決まりきった日常を過ごしていると、不意にとりとめもない記憶が脳裏をかすめる。
その事柄、場面、当時の私が感じたこと、それらが後の自分に何らかの影響を及ぼしたからこそ蘇って来たというわけでもなく。
何にも結び付いていない一つのシーンとして。
眠りの中で訪れる夢のように、ほとんどは有益でも無害でもないものとして。
例えば籐で編まれたスクールバスの座席。
小学生の時の記憶。
座るとひんやりして気持ちがよかった。
寒い季節に座った記憶はないので、夏専用のシートだったのだろう。
夏用のバス、冬用のバスと、車体を季節ごとに使い分けられるほどの余裕がある学校ではなかったので、シートだけを変えていたのだと思う。
他の季節はビロード張りだった。
当時の男子の制服は半ズボンだったから、太ももが露わになった部分には、籐の編み目模様が跡として肌に残った。
子どもの弾力のある肌なので、歩いている間にすぐに消えるのだけれど。
登下校の間のわずかな時間でも、生徒たちには涼しく過ごして欲しいとの学校側の配慮だったのだろう。
ずっと忘れていたし、どうして最近になって思い出したのかもわからない。
結構生きるのがつらいな、と思っている今、脳がそれをSOSとして受け取り、世界には優しさも存在すると証明するために記憶を漁ったのかもしれない。
それが今の私の心に響いたかと言うと、それもやはりわからない。