鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

ターゲット・後編

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男性はなぜだかその男の死に責任があるような気分になった。

もしも自分が朝、バスを遅れさせるようなことをしなければ、その男も電車に轢かれないで済んだのでは?と。

 

そんなことはないと思いながらも、胸に湧いてくる罪悪感を払しょくできないでいた。

新聞を折り畳み、気分を変えるためにコーヒーを飲もうと立ち上がった時、彼のわだかまりを突くように電話のベルが鳴った。

 

こんな朝早くに電話をかけてくる相手は思い付かなかった。

間違い電話ではないか、そう思うものの、電話のベルは切実な調子で響いてくる。

観念して電話に出ると、相手は男性の名を言い、本人であるかをまず尋ねた。

聞いたことのない声だ。

特徴があるようでもあり、ないようでもある。

また、男性のようにも、女性のようにも、若いようにも年老いたようにも聞こえる声だ。

わかるのは一つ。

そんな声を出す知人はいないということだ。

 

「電車に轢かれた男のことです」

不思議な声の持ち主は言った。

男性はこちらの頭の中を覗き込まれたようで、気持ち悪く思い電話を切ろうとした。

しかしそんな胸中も読まれているのか、「お切りにならず、聞いてください」と相手は続けた。

男性はとにかく落ち着こうと、電話を右手から左手に持ち替え、手の平に浮いた汗を手近なタオルで拭った。

「あなたがお考えの通り、あなたもあの男の死に加担したのです」

(そんなバカな)

言いたくても、声が出なかった。

この相手は思考が読めるとの思いが確信になりつつあった。

ここで電話を切ってはいけない。

話がどこに向かうのか、全体像を見てからでも会話を打ち切るのは遅くない。

こちらの心を読んだうえで何を伝えようとしているのかを見定めておくべきだと考えた。

それに、「あなたも」という言い回しが気になった。

「どういうことですか?」

かろうじてそう訊くと、相手は感情の読めない声でおよそ信じられないことを語り始めた。

 

電車に轢かれた男は「我々の」ターゲットだったという。

昨日男に関わった一人一人が間接的に彼を死の淵に追い込んだのだという。

バスの運転手はわざと速度を落として運行した。

子連れの女性は赤ん坊が他人との距離が近くなる公共交通機関を嫌うのを知りながら、バスに乗り込みむずがらせた。

ある男性はバスを決定的に遅らせるため、車内で回数券を買い求め、おつりを出すのが煩わしい万札で支払いをした。

ある老婦人は、男が側を通り過ぎた時に悲鳴を上げて倒れ込んだ。

ある男性は「逃げるな」と男の肩を掴み、先へ行かせなかった。

ある女子大生は、電車で男の手が体に触れるか触れないかのギリギリの位置に立ち、停車の時の揺れに合わせて彼が触ったと痴漢扱いした。

 

それらを聴いているうちに、男性は吐き気を催してきた。

相手はまだ滔々と話し続けている。

あらゆる手法で男の感情や感覚を刺激し、摩耗させ、踏切に着いた時点で麻痺させていた。

その結果は新聞で読んだとおりだという。

様々な年代、様々な立場の人が少しずつ男の日常に介入し、彼を死に追い詰めたのだ。

 

「どうしてそんなことを?」

男性が尋ねても答えはなかった。

その代わりに、「次回もまた参加しますか?」との問いが向けられた。

「冗談じゃない。殺人の片棒を担ぐなんてこと、二度としない」

「皆さん、最初はそう仰います。では、こうしましょう。電話番号をお教えしますから、気が変わった時に」

男性はそこで電話を切った。

口に出して言った通り、間接的にであれ人を死に至らしめることは金輪際したくなかったからだ。

 

男性は平凡な生活に帰った。

そもそも望んで殺人という非凡な行いをしたのではないのだ。

そうして繰り返しの日常を過ごす中、時々嫌悪感と共に轢死した男のことが思い返された。

他の出来事とは違い、そのことは記憶の中に埋没せず、いつまでもはっきり思い出された。

 

数か月経つと、当初知覚されていた嫌悪感が薄れてきていた。

代わりに、男性はあの謎の相手からの電話や手紙が来ることへの期待が胸を占めていることに気付いた。

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私がうつ病の療養を始めてから急性期を過ぎ、落ち着いて過去を振り返られるようになった時、この物語を思い出しました。

確かだとは言えませんが、おそらく作者はショートショートの名手・星新一さんだったはず。

細かいところは省いて、あらすじだけを抜き出してみました。

というか、細かいところが思い出せないだけなのですが。

 

誰か一人をターゲットに設定し、その人に直接的な危害を与えない形で何人か、いや、何十人かが少しずつ影響を与えて死に追い詰める。

読んだあと、こんなことが本当にあったら怖いと心底思い、だから未だに記憶に残っているのでしょう。

が、それから数年後に自分がその殺された男と同じような立場に陥るとは予想だにしませんでした。

うつ病発症時、職場や家族、町の人など皆が皆、何かしらの形で私をダメにしようと働きかけていたように思えたのです。

半分は被害妄想かもしれません。

でも、もう半分は全部が全部私の思い込みだと思うには、あまりに偶然が過ぎるように思われました。

 

職場での嫌がらせ、送迎車運転時におけるキャリアカーとの接触事故、担当要介護者の立て続けの死、プライベートでのいくつかの挫折等々、あまりにあまりなことが立て続けに起きて、この短編のように直接的に抹殺されるのではないものの、精神を大幅に削り取られる出来事が短期間に集中し、人間どころか社会不信に落ち込んでしまったのです。

 

人一人を複数人で追い込み、抹殺する。

短編の中で、最後に男性がそこに惹かれているのもわかる気もします。

自分の手を汚さずに、殺人というスリルが味わえる。

しかも一回経験済みなのですから。

自分は罪悪感で絶対に出来ないでしょうが、そこを乗り越えちゃった人はあるいはそのようなゲームや計画に加担してしまうかもしれない。

もしかしたらその加害者側に入らなければ、自分がターゲットにされてしまうかもしれないという恐怖心から身を投じる場合もあるでしょう。

 

現実にはそんなことがないのを祈るばかりです。

そうした被害妄想を持ってしまうのはうつ病の特徴とも言えるのかも。

でも、本当にそんなゲームがあるのだとしたら、どうすればターゲットから外れられるのか、ひたすら知りたくはあります。

散歩に行くと三回に一回くらいは車に轢かれそうになるのは、病気で注意力が落ちているせいなのか、まだターゲットとして設定されているためなのか。

割とその両者の可能性のどちらもが、同じ程度にあり得ると考えています。