軌跡~ある教員サークルの興亡~108
「へー、かなり人間関係入り組んでいるんですね」
Mさんも、ひと息ついて落ち着いた口調で言います。
代わりに今、自分が内心で取り乱しています。
「桃野君が入り組ませている張本人なんだけどね」
畑野さんがそう言うのと同時に、彼女の指がこちらの指の間に入って来ました。
(理性、理性、理性、……)と繰り返し念じます。
この指の動きはどういった意思表示なのか。
人間関係に疎い自分が、異性関係に通じているはずもなく、頭の回路は方々で寸断しています。
基礎問題も出来ていないのに、いきなり極めて難しい応用問題を突き付けられたよう。
いわば、九々を教わったばかりの時に、フェルマーの最終定理を証明して見せろ言われたような状態です。
「張本人と言うと?」
S大学の先輩男子が尋ねました。
「去年私、桃野君に猛アプローチをかけられて、ほんの短い間付き合ったことがあるんだ」
それを自分で言うか、と驚きましたが、手を重ねているせいなのか、その言葉に裏があるのを感じ取ってしまいます。
「でも、あまりにガツガツしてて、すぐに別れちゃったんだけどね」
どことなく切ない声で言うので、父性本能というのか、彼女を守りたい気持ちが働き、甲の方を上にしていた手をひっくり返しました。畑野さんはそれに反応し、二人はテーブルの下でしっかり手を握り合う形になっています。
「桃野君のそんな態度は他にもあるよ」
それが本条さんに向けられた言葉だと、すぐに勘付きました。
ついさっきの言葉の裏にあったのは、このことでしょう。
桃野さんが本条さんと、その友達とを同時に口説いたのを差しているのは明白です。
一茶記念館近くの駅で、本条さんが話した内容を丸ごと聴いていたのではないか。
でなければ、こういった話の流れが起こらない気もします。
畑野さんの心を手を伝って感じるのと同様、彼女もこちらの思考を読み取っているような、ちょっとした怖さを感じます。