スカートめくり克服の功罪
私は常習的なスカートめくり犯でした。
危ない人間に思われるのは心外なので先に言いますが、それは小学一二年の頃のことです。
すっかり奥手になった今では信じられませんが、小学校低学年の時の私はそのように女子にも積極的なアプローチをしていたのです。
アプローチの仕方を根本的に間違っている気もしますが。
当時はパンツを見たいというより、ただ女子と戯れたいとの理由からスカートをめくっていました。
女子も本気で嫌がってはおらず、むしろスカート手でひらひらさせて挑発しつつ、こちらが向かっていくと逃げるといった遊びとして許容されていたと思います。
私以外の男子も数名スカートめくりにいそしんでいましたが、自分ほど熱心に取り組んでいた生徒はいなかったと記憶しています。
時々担任の女教師から注意されましたが、聞く耳を持っていませんでした。
むしろ注意されればされるほどにスリルが増し、かえってスカートめくりという業に絡めとられていったのです。
幼いながら、自分はスカートめくりを一生やめられないのかもしれない、とうっすら恐怖を感じつつ内省したこともあります。
それが子供だから許されているのだと、醒めた頭が言ってもいました。
大人になって同じことをしたら洒落にならないのだと。
けれど目の前にスカートがあれば、手を伸ばさざるを得ない。
完全なスカートめくり中毒者となっていたのです。
そんなある日のこと。
小学校二年生に上がってすぐだったと思いますが、私はへまをします。
スカートめくりは、する方とされる方の暗黙の相互了解があった上で履行されるべきであるのを、それがないまま強行してしまったのです。
それまでは、この子に仕掛けたら本気で嫌がられるだろうとして避けていた相手に不正行為を働いてしまったのです。
こういうのを魔が差したというのでしょう。
本気で怒った彼女は担任のもとへ駆け込み、私を断罪するよう要求しました。
小学一年から二年に上がった際担任は変わっており、お堅い雰囲気の男性教師となっていました。
彼はその日の帰りのホームルームで私を教卓の横に立たせると、スカートめくりが犯罪であること、女子が迷惑していること、そしてやめなければ皆の前でズボンを脱がせることを宣告したのです。
パンツを見るのはいいけれど、見せるのは死ぬほど恥ずかしいという利己的な考えを持っていた私は、担任に言われるがままに「もう二度とスカートめくりはしない」と誓わされました。
宣誓はしたものの、中毒者になっていた私がそう簡単にスカートの誘惑に打ち勝てるかとの心配はありましたが、それは杞憂に終わりました。
その日からこれまで、合意なく女性のスカートをめくることはなくなったのですから。
絶対にやめられないと思っていた悪癖をこうもあっさり乗り越えられたことに不思議を覚えます。
実はスカートめくりは私にとってそれほど重要な生活の要素ではなかったということでしょう。
しかし、中毒から抜け出すための離脱症状に苦しまなかったことは、私の人生においては負の遺産になっているように思われます。
悪習からいとも簡単に卒業できたことで、そこに自己への過信が生まれたこと。
そして、何ごともしようと思えばいつでもできると思い込んでしまったこと。
そんな思い上がりが根付き、やがてしようと思っていてもうまくできない自分を見付けた時に、その過信がなければ浅くて済んだ傷を致命傷にまで至らしめる結果となったのだから。
私がうつ病に落ち込んだ遠因には、このスカートめくりからの脱却があった、そう考えられます。
医者や家族には言えっこないのですが。