風と停電と野次馬と
ふと思い出す過去のこと。
大学三年の時、構内全体が一時的に停電になったことがあります。
風がものすごく強い日で、電力会社管内で電線が切れたか、何かが引っ掛かったのか、あるいは電柱が倒れたかしたのでしょう。
私はいつもの通り一人で研究棟の自習室におり、ゼミの発表で使う資料を前に論点を絞り出そうと悪戦苦闘していました。
部屋の右手は腰の高さから天井までガラス窓がはめ込まれていて、いきなり天井の電気が消えたその時も、昼間であったので十分に明るく資料を読むのに不都合はありません。
だから特段動揺することなく勉強を続けていたのですが、私の前の席に座っていた同学年六人の男子グループの一人が「ちょっと行ってくる」と言って立ち上がり、ドアから外へ出ました。
残された人たちは彼がどこに行くのか掴めず、互いに顔を見合わせ不思議そうな表情を浮かべていました。
出て行った学生は、天井の消えた蛍光灯を見上げていて、それから「ちょっと行ってくる」と言ったので、停電が離席のきっかけだろうとは推測できます。
私も、なんだろう、と気にはなりましたが、勉強が手につかなくなるほどではありません。
そのまま資料の読み込みを続けました。
十分くらい経ち、私がその学生の言動を忘れかけた時、当の本人が帰って来ました。
「いやぁ、すごかった!」
第一声がそれです。
「私語は控え目」に、との決まりがある自習室で許されない程度に大きい声でした。
勉強の妨げではありますが、何がすごかったのか知りたいという好奇心が勝ってしまいます。
第二声からは声を落とした、でもまだボリュームが絞り切れていない彼の話を、資料を読むふりをしながら盗み聞きしました。
「電算気室に行ってきたんだけど、まぁ悲惨な状態だったよ」
電算機、電子計算機の略で要はパソコンです。
私が在学中ですらその時代遅れの名称はどうだろうと思っていたので、さすがに今はパソコンが百台ほど並べられたその部屋の名前も変わっているでしょう。
電算機、書いていて思いましたが、悪くない名称の気がします。
懐古主義でしょうか。
話を戻します。
何がどう悲惨なんだろう。
ちょっと考えますが、思い付きませんでした。
するとグループの一人が、「あ、パソコンの電源も落ちたのか」と口にしました。
その声の大きさも自習室に相応しくありませんでしたが、なるほど、との気付きが大きく、却ってボリュームを大にしてくれていたことを感謝したほどです。
「そうそう。デスクトップで論文書いていた人とか、グラフを作ってた人はそれまでの作業全部消えたんじゃないかな。うまい具合に保存していればいいけど、そうじゃない人も多いでしょ。『卒論がーっ!』とか喚いている人もいたし」
報告者の学生が笑いながら言いました。
自習室の停電から、構内全体の電気が落ちたと推察し、電算機室がどのような状況になるのかは彼の頭の中に絵が浮かんでいたに違いありません。
脳の回転の速さに感心しましたが、彼を動かしたのは野次馬根性。
他者の不幸を見るために、わざわざ暴風の中で、しかも別の棟にある電算機室まで足を伸ばすのは人としてどうなのかと疑問に思ったのを覚えています。
もしかしたら、私が見逃しているか、それとも感知できない動機があったのかもしれません。
でも、こちらが感じた通り、純粋な野次馬根性だけで動いたとしたら、そんな人ちょっと苦手です。
そんな彼も女子校の教師になりました。
博士課程まで行ってから、そこへ就職したとのこと。
学部が昨今の研究動向を知らせる小冊子を年一回発行しているのですが、それが家に届いた時に、彼の恩師である教授が退官することになり、彼が書いたお礼の挨拶が載っていたのです。
その文章の末尾に、彼の所属が(〇〇女子大付属高校勤務)とあるのを見て知りました。
そういう人が教育者として相応しいか、多少の疑問はあります。
もっとも私のように精神が滅んでいる人間に、他者を評価する資格なんてないのだろうけれど。
世の中何が起こるかわかりません。
そこがきっと面白いのでしょうけれど、私にとっては予知できない現実は多大な負担となっています。
生きづらい、その一言です。