鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

仲の良さの測り方

 

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友だちの仲の良さ。

今、友達がいなくなってみて、やっと大切なことに思われ始めた。

失ってはじめてわかる、そんな歌詞はよく見るけれど、実感としてわかった。

 

それでもスキゾイドゆえなのだろうか。

寂しいとは思わない。

友だちがいたことが前世のように思われるから、あまり自分と関係ない事柄に思えてしまう。

 

それでも小学校の時は、友達がいた気がする。

なぜだか特別に仲良くしてくれた友達もいた。

 

どうして「特別に」と思ったのかというと、その証拠があるから。

 

とても些細な事。

 

「さけるチーズ」という商品がある。

その名の通り、指で引っ張ると千切れるように縦に裂けるチーズ。

それが小学生の時に流行った。

美味しかったというのもある。

でも、それ以上に、その「裂く」という作業が楽しかったのが大きかったと思う。

子供って、食べ物で遊ぶのが好きだから。

特に、それがダメと言われていたから、余計に。

 

友だちがさけるチーズを持ってくると、みんなで彼に向って「ちょうだいちょうだい!」と群れ集まっていった。

かつての自分も同じように群れた。

そこで、友達の仲の良さの度合いが現れる。

チーズの裂き方の大きさによって。

 

大体さけるチーズを持ってくる友達は決まっていたのだけれど、自分が仲の良かったそのM君は、いつも他の子たちよりも多く分け前をくれた。

しかも結構露骨な大きさで。

 

当時も今も、自分は太ってもいないし、痩せてもいない。

今は少しやせつつあるけれど。

だから、大食いに見えるから仕方なく多めにくれたというのでもなさそう。

 

他の子たちよりも優遇してくれた理由はわからない。

わからないなりに、M君の友情の表し方のように思えて嬉しかった記憶はある。

 

小学生の時は、そんな風に友だちの仲の良さの測り方は単純だった。

 

大人になると、友達なのかどうなのかもわからなくなる。

複雑すぎて、頭がついていかず、友達なんていいや、っていう気持ちになってしまう。