鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

年賀状と性交

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正月にまつわる事柄がとにかく苦手でした。

そりが合わない父親と普段は没交渉なのにその日だけ家族ごっこをしないといけないことや、和やかというより弛緩しているとしか思えない世間の空気、美味しいのかそうでないのか、ありがたみ故に味がよく分からないおせち、そんななんやかやがとにかく疎ましく、その日が近付いてくるといつも以上に憂鬱になるのです。

 書いていて、反抗期の中学生のようだとも思いましたが、素直な感想です。

 

そして、年賀状。

今でこそこちらも出さないし、そもそも人望が無いので送ってくる人も少なくなっており、ここ二三年は一通届けば多い方でした。

けれどそれ以前、うつ病になってからの数年は、不幸な手紙並に憂鬱なものとなっていたと記憶しています。

 

うつ病の療養を始めた翌年の正月に四通の年賀状が来たのですが、そのうちの二通は当時の友人からのもので、子供ができましたや、子供が増えましたといった家族写真をプリントしてあるものでした。

こちらが欝々として塞ぎこんでいる時に、幸せがこぼれて溢れ出しているような写真を送り付けて、精神的にとどめを刺すかのようなこの仕打ち。

 

私が不幸だから周囲も不幸になればいい、などと自己中心的なことは言いませんし、考えてもいません。

せめてほっといてくれれば、それでいいのです。

が、うつ病の人間の元に、順風満帆の人生を誇示するような便りを送る神経。

わかりません。

自分たちが幸せ過ぎてその果報に目がくらみ、日陰にいる人の心情になど思い至らなくなっているのか。

それともただ単に、プリントした年賀状が余ったから捨てるのももったいないと一応の知り合いである私にも送っておこうと思ったのか。

そのどちらかかは分かりませんが、強いて今はその問題を別に置いておくとしましょう。

それ以上にわからないことがあるので。

 

そもそも家族の写真をプリントしたものを他人に送り付けるその神経。

これこそがどんなに考えても、私には理解し得ないものです。

子どもが生まれましたというお知らせ。

生まれたじゃない。

意訳すれば、子どもを作りました、ということです。

何回、何十回もの性行為を写真の夫婦が行い、その夫の精子がその妻の子宮内の卵子と結合し、細胞分裂の果てにその子どもができたということです。

少子化が声高に叫ばれる今、子どもを作るのが悪いとは言いません。

それは推奨されるべきであると考えてもいます。

 

ですが意訳すると、セックス三昧の生活を送っています、となるものを正月早々送り付けてくるその神経は、控えめに言って頭のネジが飛んでいるのでは?と文句を言いたくもなります。

とても性行為になど興味なさそうな年賀状のこの妻が、夜な夜な色んな体位でコトに励んでいると思うと、モヤモヤした気持ちになります。

 

そもそもが、たかが私の知友です。

並外れて外見がいいわけではありません。

人のこと言えませんが……。

それなのになぜ、正月早々自分らが写ったプロマイドを送って来るのか。

持って、見て嬉しいのは、女優やアイドルやモデルくらいの外見の、しかも女性の写真です。

男はどうでもいい。

そこら辺を歩いているような一般人の家族写真など、これっぽっちも嬉しくありません。

 

そのような家族の写真を送られて純粋に喜べるのは、夫婦の父母くらいではないかと思うのです。

子どもや孫が幸せそうに暮らしている、それはきっと嬉しいことでしょう。

けれど、不妊に悩んでいたり、それ以前に恋人にすら巡り合っていない人にとってみれば、そのような年賀状はある意味テロです。

 

この年賀状というシステム。

郵便局の上の人はこれで潤うのかもしれません。

ですが配達人からすれば、どうして元旦の、それも早朝から仕事をしなくてはいけないのかと悪態をつきたくなるようなものだと思います。

もしかしたら、懐がホクホクになるほどの年始手当を貰っているのかもしれませんが。

 

だとしても全体的に見れば、昭和の悪弊でしょう。

それが平成の世では廃れたとはいえ、生き残ってしまいました。

そして本年の御代替わり。

今度こそ、年賀状制度に終止符を打つ世の中になることを、少なからず期待しています。