鬱な現実~うつしぐさ~

うつ病者及びスキゾイド症者の語るしくじりだらけの人生

人もうつりかわり その2

 

人には裏表がある。それが現実、それは真実だった。

健康な時でもそう思い知るのは胸に来るものです。

 

けれど、自分はそれを、うつ病が重くなっている時にも経験しました。

被害妄想が誇大になり、ただでさえ落ち込みやすくなっている時です。

相手はこともあろうに、主治医。

心療内科の医師です。

 

その医師に掛かったのは約二年半。

医院はとても流行っていて、平日の午前中はいつ行っても十五ほどある待合室の椅子は全部埋まっていました。

それでいながら、診察は雑ではなく、患者の話をよく聴いてくれていたと思います。

感情が昂って、涙ぐんでしまった時には、「診察予約の時じゃなくても来ていいから」と優しく言ってくれもしました。

 

ただ、そこはシゾイド、全面的に心を許してもいません。

どこか覚めていました。

おや?と思うこともあり、信用し過ぎないよう留意していましたし。

 

というのも、診察を受けているうちに、家を出るよう促されることが多くなってきたからです。

確かに自分の家庭に問題はあると思います。

遺伝もあるし、家庭環境も精神に悪影響を及ぼすものだと言えます。

だから、家ではなるべく家族とも接しないようにしていました。

それでも、掛かりつけ医は家を出るよう言うのです。

 

ただ、とても働ける状況ではなかった時にそう言われ、生活はどうしたらいいのかと問いました。

生活保護を受ければいい、それが答えです。

世帯分離(=戸籍上で家族との縁を切ること)すれば、家族があっても生活保護を受けることができるという。

「実際にそうしている人も、僕の患者でいるからね。手続きの書類は書いてあげられるよ」

医師はそう言いました。

生活保護、それまで考えてもいませんでした。

どちらかというと、悪いイメージを持っていました。

一回貰ってしまうと、そこから抜け出せない気もしましたし。

 

そこでふと冷静になります。

もし生活保護を貰うことになれば、その医師への依存度がより高まるのでは、と。

穿った見方ですが、意志からすれば患者に依存してもらう度合いが強いほど、囲い込みが強くなります。

その人はずっと患者でいてくれるから、医院の経済にはプラスのはずです。

もしかしたら、そのコマにさせられるのでは?、そう思ってしまいました。

 

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そのような時に、珍しく父親がセカンドオピニオンを受けてみればいいと意見します。

自分としては、上記のような疑いはあるものの、それでもなおまだ信頼の方が大きかった気がします。

だから、自ら進んでそうしようと思わなかったのですが、父だけでなく、母もそう言い出すので、両親の心配を和ませるためにという気持ちからその意見を受け入れました。

 

そして、ある日掛かりつけ医に「セカンドオピニオンを受けてみようかと思うのですが」と控え目に言いました。

すると、意志の態度が一変したのです。

能で、女面が夜叉面に変化したかのように。

「あ、そう。じゃあ、もういいよ。診察はこれで終わりね。お疲れさまでした」と、その日の診察どころか、以後の診察も拒否する言い方で話し始めたのです。

「いえ、他の病院の意見を聴くだけで、もし、こちらの方が良ければまだ治療を続けて頂きたのですけど」と言っても、「いや、僕を信頼していないんでしょ?だから他に行くんだよね。もういいよ」と投げやりな様子。

素で、「何だこの人は?」と思ったのを記憶しています。

自分の態度が悪かったのか、向こうの性格が悪かったのか、今でも考え続けています。

 

結局その時が、その医院での最後の診察になりました。

心から信頼していなかったとはいえ、さすがにそんなぞんざいな態度を取られると裏切られた感が半端じゃなく募ります。

一般社会で裏表のある人が多いのは何とか理解し始めた頃に、心を扱う医師にもその種の人間がいることに絶望を禁じえなかった。

おかげで人間不信がより深まったのは確実です。それは今も傷として胸に残っています。

人は変わるもの。うつりかわるものです。例外なく。

それを悟った医院での一コマでした。

 

あれは本当になんだったんだろう……。