X大学のこと5
資格学校のアルバイトでも忘年会がありました。
働いている総人数が少ないためか、正職員とアルバイト職員との壁はそう高くなかったような。
だから、飲みの場はフレンドリーな雰囲気で進行していきました。
が、二軒目に移った時から雲行きが怪しくなります。
そうK君の様子が変わり始めます。
アルコールをスポンジのように多分に染み込ませた彼の頭脳はリミッターが破損してしまったのです。
その前に、昔から疑問がありました。
何故飲み会に一次会、二次会というように梯子するのか。
そもそもなんで飲む場所を変えるのを梯子と言うのか。
ちょっと調べても、二次会を行う理由ははっきりと掴めません。
自明のこととして、疑問に思うのもおかしいのか。
常識的に考えれば、気の合うもの同士が集まって、親交をより深くするために落ち着ける場所に移動するから?
梯子するというのは、元々は梯子酒という言葉があり、そこから由来したそうな。
梯子酒とは、普通に歩くのとは違い、一足一足足を止めながら馴染みの店のお酒を次々に飲んでいく様子を表した言葉。
そこから、飲み会の時に店を変えるのを「はしごする」と言うようになったのだという。
二軒目に梯子したK君はトイレに行っては吐き、戻って来ては飲み、またトイレに行っては……というのを繰り返していました。
段々と言っていることも意味が通らなくなって来て。
X大学閥の先輩二人も苦々しい顔をしながら彼の介抱に努めます。
自分もK君とは同学年という、ただそれだけの薄い繋がりもあり、何度か彼に肩を貸してトイレに連れて行きました。
彼がトイレの個室で寝込んでしまった時は、隣の個室の壁と天井の隙間から身を乗り出して鍵を開けたりしましたし。
甲斐甲斐しく見えるでしょうか。
でも、内心は違っています。
K君はこの二軒目で撃沈してトイレに行くたびに、「ほんとありがとうございます。ほんと○○先輩には感謝しています」という言葉を口にしていたのです。
その○○先輩以外にも××先輩や自分も介抱していたのに、なぜ一人の名前だけ挙げるのか。
疑問と、あとちょっとした苛立ちを覚えつつ、じゃあどこまで優しくすれば自分の名前を言ってくれるのだろうというのを試したくて、まめまめしく面倒を見てみたのです。
我ながら腹黒い。
この腹黒さは、生来の物で、消したく思うのですがうまくいかない。
ともあれ、三度目か四度目かに彼に肩を貸してトイレに行った時、ついに「△△さん、優しいですね。ほんとすいません」というこちらの名前を呼ばせることに成功しました。
自分のしたたかで無意味な目標達成です。
と同時に思わぬ副産物が舞い込んできました。
「K君の介抱するなんて優しいんですね」
そう正規職員の女性の一人が言ってくれたのです。
美しすぎるほど美しい女性でした。
「△△さんて、言動にいやらしさが無いから何だかいい感じです」
とも言ってくれましたが、この人見る目ないなぁとも思いました。
K君を介抱しているのなんて、自分の小さな自己満足ゆえの行為でしたから。
でもまあ、美人に褒められるのは嬉しいものです。
同時に、怯みも覚えましたが。
褒められることに慣れていないから、期待されるとそれがすぐに重荷になってしまうから。
ともあれ、K君は既に出来上がっています。
完成品も完成品、あれほど見事な酔っぱらいは、以降見たことがありません。
やっと酒席に戻って来た彼は運命の一言を発します。
「※※さん、どうしてそんなに鼻の穴がでかくて醜いんですか?」
忘年会には女性が5人参加していました。
「中山美穂なんて足が太いただの短足じゃない。スタイルなら私の方が上よ」
と、こちらも出来上がりつつある事務長補佐や先ほどこちらを褒めてくれた綺麗な女性、アルバイトの東京何とか大学の四年の女性や上智大学の二年の女子。
それから、正規職員の※※さん。
確かに美しさからは遠い位置にいます。
ですが、言ってはいけないこと、あるはずです。
場が凍り付くというのは、単なる言い回しではありません。
あの時、時と場所とが一瞬固定され、誰しもが「ヤバい!」というような考えが浮かんだと思います。
どんなにアルコールで脳がふやけていても、決して決壊させてはいけない壁を難なくナチュラルに超えたK君。
ある意味凄いと思いました。
※※さんが「えー、何言ってるの?」と笑い飛ばしたのは、さすが大人だと感心したのを覚えています。
今考えれば彼女だって三十前の女性のはず。
よくあの場でその切り返しが出来たものだと思います。
怒らずに、場をそれ以上冷やさずに、見事に受け流した彼女の対応に畏敬を覚えます。
目は笑っていませんでしたが。
同じX大学閥の先輩がK君に強い酒を勧め、すぐに彼を再び轟沈させてトイレへ運びました。
同じく別の先輩も後からすぐについていったため、トイレで何かしらの緊急集会が開かれたのでしょう。
帰ってきたK君はお酒を飲んだのとは別の種の顔色の悪さを浮かべていましたから。
X大学にはとんでもない人がいる、まざまざとこの時にそう思いました。
それから、なるべく関わりたくないな、とも。
けれど、その思いは適いません。
何の因果か、それからもことあるごとにX大学出身者とは関わっていくことになりました。